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観光まちづくり小樽・祝津と人口180万人の札幌は↓こんなに近い。
JR札幌駅の、「JRタワー」がこうやて見える距離なのだ。
あっという間の、長い長い10ヶ月でした。
司法書士のような作業の連続でした。
国の助成金システムや助成金に関連する適正化法などの初歩の学習。
役所に通用するここは半角ずらし、あすこは全角空けるなんて文書のフォーマット。
契約概念・契約用語のイチからの勉強。
様々な税対策とお国の税金を投入することによる所有権の帰属問題。
そして協議会を構成する団体間の信頼関係構築。
何よりも建物所有者との信頼関係構築。
許された事業期間が2年だったのが幸いし、10ヶ月かかって、本日、事業の2大柱のひとつ、修復工事入札がなり、建築会社が選定される運びとなりました。
アラウンド還暦の1年を費やした。
大不況による激減した建設工事というパイ。
そのパイを 膨大な数の建築会社で争うのではなく、
様々な異業種転換のための試行的事業を試みることで、
将来的な企業継続と雇用の確保を図ろう、というお国の補助事業。
そのお国の補助事業を活用し、丁度、昭和29年以来途絶えていたニシンの群来(ニシンが産卵にくるのをいう)で沸き返る小樽・祝津地区に、永年放置されてきた漁場建築・ニシン番屋を修復し、地域発展の拠点にしようと、手をあげた。
なによりも、その小樽・祝津地区に待望の市民運動の核が出来つつあったのが、手をあげる根拠だった。
かつて40年前、私が子供の頃はこの祝津地区は東洋一の水族館と海水浴場と小樽積丹(しゃこたん)国定公園を形成する風光明媚で、小樽の一大観光拠点だった。
しかし、必死の栽培漁業への転換にもかかわらず漁業の衰退は激しく、漁師の高齢化・後継不足・エリア人口減、そして皮肉にも斜陽小樽から運河観光爆発して、観光拠点の位置を確立出来ないできた。
しかし、観光事業者・漁師・住民というこのエリアの全階層から参加する市民運動団体・「祝津・たなげ会」が生まれ、エリアの歴史や成り立ちや現在の資源の再発見運動を展開、観光を切り口にしたエリア活性化に頑張り始めた。
昭和29年以来乱獲からか姿が完全に途絶えたニシンが、その住民の蠢きにあわせたかのように復活到来し、それをチャンスと開催した「小樽・祝津にしん祭り」には、にしん1000匹丸焼き無料に引かれたか、数千人が来場してくれた。
こういう地域の衰退と盛り上がりに左右されないで、着実な研究調査を継続してきた北海道職業能力開発大学建築史研究室は、この祝津エリアに40数棟の漁場建築が「群」としてあり、それはニシン漁で栄えてきた日本海沿岸の町々の中でも際だつ存在のエリアだと発表してくれた。
普段は空気のような存在でしかなかった、老朽化し破損の激しい漁場建築を見る住民の目に被さっていたベールが剥がされ、再発見した瞬間だった。
番屋通りと言われるメインストリートに、それは激しく損壊しているが、ランドマーク的存在のニシン番屋があった。
30有余年放置され、所有者もその維持に苦慮し、解体するかいなかと迷っていた。
祝津・たなげ会はなんとか修復再生出来ないかと所有者・研究者とタクラミ会議をもつが、その膨大な修復費という壁に突き当たり、なんとか倒壊しないよう簡単な手立てでこの1年凌いできていた。
「何とかならんものか」
と、祝津・たなげ会の昔からの仲間や北海道職業能力開発大学駒木定正准教授から突き上げがきたのが昨年秋だった。
半年、様々な観光事業のネットワークでその手立てを考えたが、仲々そんな都合良くはいかず、諦めかけた今年の雪あかりの路イベントが終わって反省会が連続した頃、建設業と地域の元気回復助成事業公募があると、広域しりべし観光でスクラムを組んできた仲間からサジェストが。
Heaven helps those who help themselves.
だった。
幸運の女神に後ろ髪はなく、前髪を掴まんと逃げられてしまう、とそれから一挙に始まった。
この種のお国の補助金事業は、コンサルティング会社が事務局・裏方を担い、調整実務作業を担うから、地域はその推進母体形成をとしてやるのが普通だった。
が、もうそういう時代ではない。
中抜け的利潤追求のコンサルティングは去って、本当に地域と継続性のある事業をサポートするコンサルティングだけが生き残る時代となった。
地域がそれを申請する時代となった。
国も、中抜け的にコンサルタントを食べさせるのではなく、ストレートに地域に落とすことで、より効果と成果を求める時代となってきた。
だったら、やってやろうじゃないか、と年甲斐もなく、いきりたってしまった。
コンサルティング会社と建築会社、日本を牽引してきた2大業界が悲鳴をあげている。
今まで儲けすぎたのだ、4人に一人が建築・土木関係の社会構造がおかしい、と冷ややかにみるだけでは、片づかない問題。
地域に入れば入るほど、建築業界がその地域に果たしてきた役割は大きい。
観光イベントの最大のスポンサーと人員提供は、建築業界の協力なしでは成立してこなかった。
観光の世界では、発地型観光から着地型観光にというのが流行言葉となっているが、その転換が建築業界、とりわけ小樽の建築業界には問われる。
歴史的建造物の宝庫という街の特性、歴史的環境と建築業界という積年の課題を持ちながらどう上質な街にしていくのかでコミットする業界になっていくのかが問われる。
新たな観光施設のオープン効果が極端に減少している、しかし、そこには必ず建築会社が係わっている。
観光まちづくりと建築会社、この古くて新しい問題を突破する関係・・・、小樽こそがそれを提案していくべき『まち』ではある。
こんなことを考えながら・・・その結果の・・・10ヶ月だった(^^)
私の役回りは、どんな障害や難題が持ち上がっても「諦めない」と言い続ける存在、という役割。
頑固な阿羅還には、願ったりの役回り(^^)
旨い年越しの酒を飲み、春からの事業に英気を養う正月を迎えられる。