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住んで良し訪れて良しの観光まちづくりと「カジノ誘致」



 私は常日頃、この「北海道大学観光学高等研究センター長」・石森秀三先生を尊敬している。 
 この先生が「カジノ誘致」をと北海道新聞で言っていると聞き、その画像データをもらった。 
 石森教授がそう言ったということで元気づく方々もおられるようだが、読んでみれば「前提」が全然違う。
 とりわけ、「小さな町の人々」が「即効性のある経済効果」などを理由に、それを誘致しようとする動きに対しては、石森先生は「違う」といっておられる。

 しかし、これまで道内の「カジノ誘致」を叫ぶ人たちは、即効性ある経済効果やら雇用拡大を唱い文句にしておられる。
 が、何度「即効性経済効果や雇用拡大」を唱い文句に失敗を積み重ねてきたのか、いつになれば気がつくのか、と呆然となる。
 百歩譲ってわが町が、カジノも含めた「一大複合リゾート都市にするという観光まちづくり戦略」論議は、これまでのところ一ミリもない。
 小樽市基本計画にも、小樽市観光基本計画にもその言葉を見つけられない。
 一体、「自分たちの住む町をどこに持って行こうとするのか」という大前提がないまま、口当たりのいい経済即効性や雇用促進に加え、都合良く新たにリゾートなどという言葉を持ち出し、誘致根拠にされるのか気が知れない。
 カジノ誘致を叫ぶ人々の
 「わが町の持続発展可能な観光まちづくり戦略
を、一度も聞いたことがないのだから。

 韓国の済州島のカジノに視察にいった友人のカメラデータを見せてもらった。
 カジノの外観の綺麗さ、施設内部の華やかさ。
 それと同時に、カジノ施設の周辺の薄暗闇の中にスッテンテンに掏られて目も落ちくぼみぎらつかせ、ヘタリ座っている人々の姿。
 そのしゃがみ込んでいる人間の抜け殻のような人の周りを、いかにもという市中金融の連中が、膨大な金利の金貸しをし回っている姿。
 私は道徳家でもなんでもない。
 でも健全な賭博などありえないとわかっている。 
 あらゆる創意工夫(?)でアンダーグラウンドの連中は、公的管理であれなんであれ、網の目をくぐり人間の弱さを突き貪り取る。 
 そういう連中の吹きだまりの町にしようというのだろうか?

 昭和25年、最高裁大法廷判決は、「と博」を罪とする理由をこう述べている。
 「国民をして怠惰浪費の弊害を生ぜしめ、健康で文化的な社会の基盤をなす勤労の美風を害する。 甚だしきは暴行、脅迫、殺傷、強窃盗その他の副次的犯罪を誘発し、又は国民経済の機能に重大な障害を与えるおそれがある

 経済界こそ「持続発展可能な観光まちづくり戦略」を真っ正面から考えるべきではないだろうか?
 小樽ではこの石森先生の「一大複合リゾート都市観光戦略」構想としてカジノ誘致が言われてきたことはない。
 そもそも「カジノ誘致」運動を本籍にするところから言われてくることの奇異さはどうやってもなじめない。
 
 小樽では「一大複合リゾート都市観光戦略」構想がどのような内容で展開されるのか?
 その中でMICEなどをどう小樽観光戦略に組み込むのか?
 そもそも小樽という街が、「リゾート」型観光都市に適した街なのか、
 それを展望できる可能性があるのか、
という本質的論議すら出来ていない。

 おそらくこの石森北海道大学観光学高等研究センター長の新聞記事を読み、小樽を「一大複合リゾート観光都市」に、その中にカジノをと言い始めるに違いない。 

 「住んで良し、訪れて良し」の観光まちづくりの王道・原則の道を行くのか、彼らの道をいくのか。
 前者の道をいくよりない。

 


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一度目は悲劇,しかし二度目は喜劇
JUGEMテーマ:観光まちづくり
裸の王様


 医者から,2年の疲れ,すべてのスケジュールキャンセルして静養しなさい.と宣告され大人しくしている..
 しかし,横になっているのに寝ていられない話が次々持ち込まれる..
 
 負ける闘いは意味がない,・・・とは,私は言わない.
 ・・・若さは,おそれに打ち勝つ勇気の発露であり,安易さより冒険を求める.
 そうだ,私も何度も負けて来た.
 が,敗北から何も導かずまた3年もあったのに次を準備せず,結果,「情況だけ」からまた闘いを挑むなど,安易な冒険主義と言わざるを得ない.
 自らの玉をもてないからとはいえ,だからといって自動的に自らが玉になろうとするのは,決定的に違う.

 真面目に情況を見るのはいい.
 が,真面目だけでは情況を変える埋め合わせにはならない.
 情況だけを見ると,情況に溺れるという落とし穴がある.
 もう一度,一から日頃の活動を着実にし,次の闘いのための牙を研ぎ,周囲の環境を作り出していく,その積み重ねこそが情況を自分に引き寄せられるのだ.

 一度目は悲劇ですむが,二度目は喜劇で終わるしかない.
 本当に本人のため,わが町のためと思って話し合った.
 そして,多くの仲間も同様に話をしたという.
 その仲間を今回も組織化できなかったところが何なのか,を考えてもらいたかった.
 邪な動機で近づく連中は前回より多くなり,彼を支える陣営に混乱と疑心を醸し出すのではないか,と余計な心配もする.

 が,それもこれも.本人の決断だ.
 申し訳ないが,私は安易に喝采する観客だけには・・・ならない.
 
 ・・・若さとは,
 人生の一時期のことではなく,心のあり方のことだ.
 ばら色の頬,紅い唇,柔らかなひざのことではない.
 意志,豊かな想像力,強い情熱の問題であり,命の深い泉の新鮮さにある.
 これはときに20歳の若者よりは,60歳の大人にやどっていることがある.
 人は年の数を重ねて老いるのではない.
 理想を捨てさるとき老いるのである.

 しかし,もう一人.
 直近で3度破れ4度目の敗北に一直線のご仁もおられる.
 一度目は悲劇,2度目は喜劇なら,このご仁をどういえばいいか,私も表現に困る.
 「初心者より経験者」などという陳腐な理由で出馬する.
 その経験者が,過去3度も連続敗北したのに,である.
 「自己肥大化症候群」がとまらないらしい.
 前回,市民病院建設問題では「ペンキ塗替」だけという迷施策を打ち出し市民を絶句させ,市長給与は「ゼロ」と最悪ポピュリズム施策で,庶民に笑われた.
 そして今回も,関係者の立起表明の場をつかい,取り巻きに「立起を」と言わせる田舎猿芝居三昧.
 いくらリサイクル時代とはいえ,賞味期限切れバーゲンセールや廃棄処分セールなど,庶民の世界だけでいい. 
 
 そして結局この町の経済人は,火中の栗はひろわなかった.
 普段,小樽のまちをなんとかし,雇用を増やさねば,と喧伝されて来たご仁たちが,結局混迷に混迷を重ね,かろうじて神輿はなんとか担ぎ上げた.
 が,結局,また他人のふんどし路線をわが町の経済人は選択した.
 .
 町に閉塞感が蔓延し,「何かすっきりしたい」という期待感とが共振しあい,誰を最終的に選択するのか,わからない.
 
 いずれにせよ.
 我々は,牙を研ぐのを忘れない.
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20100723 本物の「硝子の街・小樽」になるために、第二回小樽がらす市
JUGEMテーマ:観光まちづくり
2010第二回小樽がらす市表519
 小樽では、明日から第四四回おたる潮祭りが三日間に渡って開催されます。
 この期間のもう一つの目玉のイベントが、
 「第二回小樽がらす市」
です。
 小樽はこの二〇年の観光小樽で、ガラス・寿司・オルゴールの三点セットで奔ってきました。 
 が、本当に小樽市民が私達の『まち』は硝子の街だと自ら誇るような『まち』になったのか、という自らの問いに応えようとしたのこの「小樽がらす市」なのです。
 今から三〇年前、地場の小さなガラス販売店の店主が試みた「ランプ」販売がヒットし、それからの努力で「北一ガラス」は全国に名をとどろかせるまでになり、グラススタジオインオタル工房の誕生から今では市内に24のガラス工房がその腕を競うようになり、小樽運河・堺町にはガラス販売観光施設が軒を並べるようになりました。

 しかし、お土産品としてのガラス販売は全国の観光地のモデルパターンとなり、今や珍しいものではなくなってしまいました。
 観光二〇年のわが小樽もそうです。
 更なる「硝子の街」に、本物の「硝子の街」になるためには、市民や札幌圏の人々がそう認めないと発展はありません。
 そのために、瀬戸物の『まち』、陶器の『まち』が瀬戸物市を永年開催してきたように、小樽市民にもっともっと硝子に触れてもらい、日常生活で硝子が何の衒いもなく使われ楽しんで貰う、そういう『まち』になっていきたい、という願いで昨年からスタートしました。
 合い言葉は、「本物の硝子の街」!

 是非、ご来場下さい。

2010第二回小樽がらす市裏519

2010第二回小樽がらす市参加リスト519
 ↑ 小樽がらす市参加工房リスト! クリックすると拡大します。

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・・・させて頂きます。

JUGEMテーマ:観光まちづくり

道外進出 日本には不思議な語法がある。

 「お陰様で○○させて頂いております」という風に。

 ・・帰らせていただきます。
 ・・来させていただきます。
 ・・お届けさせて頂きました。
 ・・元気に過ごさせて頂いております。

 最初は関西から使われ出して昭和には東京でも使われるようになった、という。
 
 「地下鉄で霞ヶ関まで来させていただきました」などと謂っても、別に相手のお金で地下鉄に乗ったわけではないし、自分のおあしでエアと地下鉄を利用し、自分の足とで来たのに、
 「・・させて頂きました。」
という。

 要は、浄土真宗(門徒・本願寺・真宗など)から来ていると、確か司馬遼太郎が「街道をゆく」か「この国のかたち」かどちらかのシリーズで、記していた。

 他の仏教でこのような言い回しはない。
 つまり、阿弥陀如来という絶対的な「他力」によって生かして「頂いている」という思想、言い回し、なのだと。

 お客様に御来店いただくのも阿弥陀如来様の「お蔭」であり、
 阿弥陀様の「お蔭」でお店を繁盛させて頂いており、
 お蔭で家族も社員も息災に過ごさせて頂いており、
 皆三度の食事も美味しくたべさせて頂き、
 晩酌を楽しませていただき、
 夜9時には寝かせて頂いております。
という、「絶対的他力」という存在がある。
 だから、「お陰様で・・」という枕詞があり、「お陰」という観念が生まれた。
 それが、いつの間にか宗派を越え、標準語になりつつある。

 さて、↑ のような記事が北海道新聞3月17日の地域の経済で紹介されている。
 「観光小樽で『お陰様でここまで会社を発展させて頂きました』」
ということで、
 「今度は、道外でも繁盛させていただき、会社を発展させていただきます。」
と言って欲しかった。

 記者の言葉か、
  「・・・寿司店の数は年年減少、小樽観光の看板を背負った時代が過ぎたことが
   道外進出を促した」
と記事がでた。
  「観光客を小樽で待つだけではいけない。」
とも。
 そして、救われたのは、
  「ガラスに燗しては足元を固める時期にきている」
と言う言葉だ。
 
 ・・本当に「ガラス、寿司、オルゴール」で20年走り抜いてきた観光小樽が、自らの足元をもう一度見て、固める時代だ、
 もう一度、ガラスを、寿司を、オルゴールを根っこから見つめなおして、原点から打ち出す発想が問われているのではないか、という論議も観光関連会議で話されている。
 もう、「ガラス、寿司、オルゴール」という20年の観光小樽は終わった、と言い放ってきた人達が、である。
 そう、ここまで名を馳せた小樽の「「ガラス、寿司、オルゴール」がその根っこから見つめ直して、再び評価を受けるようになる作業は大事だ。

 
  「お陰様でお客様に来て頂き繁盛させて頂いております」
という観光まちづくりの小樽を目指したい。
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町巡り、おたる・雛めぐり2010
JUGEMテーマ:


おたる・雛めぐり

 小樽の店々が、お雛様を飾り、お客様に楽しんでいただく「おたる・雛めぐり」。
 明日、3/7が最後です。
 お雛様を飾ったお店を巡るスタンプラリーも明日が最後。
 

 スタンプを押す役を承った女将に言わせると、弊店でスタンプを押して応募箱に投函された七〜八割が札幌のお客様だと言います。

 観光小樽の戦略的ターゲットは「札幌圏のお客様」。
 その札幌圏のお客様が、小樽の街をそぞろ歩いて頂く仕掛けとなった「雛めぐり」。
 大々的に宣伝するでもなく、極自然に小樽来訪を誘うのが、Cool です。

 仲々、お店の中まで入られないお客様も「お雛様をみたいの」という一言で、気軽にお店に入られる。 
 一方、お店側もお声掛けしないでも、店の中までお客様に気軽に入って頂ける。
 そして、自店の存在を知って、覚えて頂ける。

 地味で目立たないけれど、そんな落ち着いて巡り歩いて頂ける街・小樽。

 雪あかりの路には大変多くの来場を頂く。
 が、雪あかりの路終了後、お客様は潮を引いたように去られ・・寂しくなる。
 ・・・それが街中には、ボディをくらったように利く。
 そんな、二月後半から三月初旬のミニ端境期に、近間の札幌圏からお客様に来訪いただき、街中をそぞろ歩いていただく。
 騒がしい、だみ声の客引きの声などない、さりげない逍遙の小樽の世界。

 これが倉敷の「屏風祭り」(?だったか、名前は失念した)のようになったら、と。
 倉敷の「屏風祭り」は、お店だけでなくて、一般市民もそれぞれの家の貴重なお宝を、玄関先に飾る。
 通るお客様も、足を止め、玄関先まで入らせて貰い、倉敷の一軒一軒の店や家々に蓄積された街の文化こそを楽しんで貰う。
 ご馳走は、その家々の方々の”語り”。

 そんな、その街の光を観せる=「観光」というものの、本来の意味を表現する「街めぐり」に成長していったらと、思いたがっている蕎麦屋親爺です。
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2010年もニシンが到来、それも初日水揚げはすごい
JUGEMテーマ:観光まちづくり
1/12道新記事
 昨日のある会合では、ニシンの話題で終始して。
 今年も、ニシンの初水揚げが・・・!
 それも1漁師さんで2トン!
 小樽市漁協さんもニコニコ!

漁協ブログから転載1

 水産市場では、4200ケースも競りにかけられると!

漁協ブログから転載1

 これ全部初水揚げのニシンなんです。
 ニシン漁の走りは、一番手と言われる特大クラスがまず獲れます、そして3月頃は魚体がどんどん小さくなっていくといいます。
 しかし、今年はどういうわけか、特大以下の大・中の魚体が多いと。
 まあ、それはいいとして、まだニシンの握りが味わえる。

 小樽にこられた方だけが味わえ、楽しめる。
 こういう観光がたまらなくいい。
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観光プロジェクト推進会議の総括にむけて
 JUGEMテーマ:観光まちづくり

小樽港と市街地

 ↑北海道遺産HPから転載

 2010年を迎えて,今,小樽観光はどううなっているか。
 昨年を振り返る.
 ・リーマンショック以降世界的な景気の低迷による消費者マインドの伸び悩み、
 ・新型インフルエンザの流行
 ・全道的に夏季の天候不良
と観光にとってマイナス材料が多く、小樽観光もそのいずれにも直撃されて、観光客の入込減、さらに海外訪日客も中国以外は韓国のウォン安・台湾の株安も相まって減少が目立ち、観光事業者は悲鳴をあげている。

 このような激変を予想だにせず、二年半前の、2007年(平成19年)8月1日に,
 小樽市長に委嘱された小樽市観光プロジェクト推進会議
はスタートした。
 その任期が、本年3月で満了する。

 盆暮れ以外は月2回の会議開催という大変ハードな開催間隔で、正式会議だけで40数回を数えた。 その各事業のための事前・方針確定・反省会議までいれれば、100回をゆうに越える。
 3日に一度は大小会議と打ち合わせということになる。
 ま、その他にも観光関連会議はあり、連れ合いから夫婦のコミュニケーションがない、といわれるのも無理はない。(^^)

 各委員は皆民間人でありながら、自らの商売や社会活動で多忙な中で献身的な会議参加と行動をして頂き、心から感謝する次第。
 40数回中、敢えて論議を論議だけに終わらせるのではなく、実施方針を確定し、行動も含めての結論に至らせるべく、会議をうるうかすにいいだけうるかした。
 その運営方法に焦れた委員もおられた.
 が、それは全て私の責に帰する。
 この場をかりてお詫びしたい。
 が、それもこれも、思いは「小樽観光まちづくりの持続的発展の端緒を切る」の一点だった。

・小樽市観光プロジェクト推進会議がスタートした年の4月、小樽観光協会が小樽観光誘致促進協議会と統合し、新生小樽観光協会として4委員会制を取り、眞田会長のもとスタートした。
 それは、2006年(H18)一年をかけての統合作業の成果であり、更に遡ると小樽観光二〇年間存在してこず、2003年(H15)から三年かけて初めて策定された、
 「小樽市観光基本計画ー新いいふりこき宣言
の最終章に明記された、
 「市内観光団体の一本化ーオール小樽の観光組織の形成
を受けてのものだった。

・このようにして誕生した小樽市観光プロジェクト推進会議の任務は、
 ●より質の高い時間消費型観光まちづくりをめざし、
 ●重要なテーマを抽出し、その実施方針を自ら定め
 ●自らも行動を取る
ということでもって、今後一〇年間の小樽市観光施策の中に小樽市観光プロジェクト推進会議の位置を確立することであった。

 が、それは小樽市観光プロジェクト推進会議自身をクローズアップすることではなかった。
 様々なかたちで時間消費型観光の実施プロジェクトを立ち上げ、
 それが表現される観光まちづくり事業展開でその担い手を形成し、
 彼らこそに光があたり次代の担い手になれば良し,とする、
 種を蒔く三年間
だった、と言える
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小樽シャコ祭への・・・ご感想とご意見
JUGEMテーマ:観光まちづくり
 
第二回小樽しゃこ祭のお客様
 大好評を得た第二回シャコ祭。

 その、21,22日の運河公園、第二回小樽産シャコ祭イベントに来場されたお客様から、お励ましの言葉と、そして温かいアドバイスを頂いている。

 ↑ 画像のように大変行列作ってお待ち頂いた皆様から色々ご意見・アドバイスをもらって嬉しい限り。
 いいイベントを準備し用意してきた側からすると、これが限りなく嬉しい。
 そして、今も様々な場面でシャコ祭りが話題になる。
 この嬉しい反応は、そう、雪あかりの路を初めて開催したときと似ている。
 マスコミの取り上げ方も、雪あかりの路に比べ、シャコ祭りの方が早い。
 
 もっと、きっちりとやっていけば、将来化ける。

 雪あかりの路とシャコ祭、全く表現形態は違う。
 が、ベースが、
 「土着」「ローカル」「地場資源」「再発見と再評価」「再訪」
という面では、両者とも同じだ。
 小樽だからこその、「ローカルこそグローバル」イベントだ。
 
 その頂いたご意見・アドバイスを紹介し、本ブログにアクセスされる方々からも更に「小樽しゃこ祭」へのご意見を頂ければと。


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小樽朝里、毛無山の冠雪
朝里、毛無山
 朝里の山々が冠雪した。
 麓の町々は紅葉が終わり常緑樹だけの世界だが、朝里、毛無の山々の頂上から中腹までは遠く街中からうかがうと、墨絵の世界。
 
 高校時代の同期会代表が、逝ってしまった。
 17歳で高校の応援団長になって43年、同期会の締めはその彼のエールで必ず締められた。
 生涯「団長」だった。
 彼のエールで、同期の我々は様々な人に言えない生き方をしてきながら、その仲間性に浸れた。
 札幌の高校で教鞭を執って38年。
 空手道を28年も続け強靱な肉体を持つ。
 隣に立つと上背のある、筋肉質の逞しい身体、肩から背にかけてのかっちりと引き締まった線、それらの殆んどが魅惑的なほど精悍さに溢れ、たとえようもなく温かく、ゆったりと静かに見えた男だった。
 自堕落に、ふしだらで、ヘビースモークの生活が続く私がまだ生きていて、その彼が肺線腫から逝った。
 享年61。

 運命というものがあるのであれば、それを定めた天に憤る。
 高校時代から相思相愛の彼の奥さんは、私などと比べるのも失礼だが、どこにもぶつけられない憤りを押し殺し生きていく。
 強靱な身体と清清しいほどまでの心根だからこそ、病魔とこれほどまでに静かに闘い抜き生ききった。
 そう、亡くなったのはなく、生き切った。
 御主人はもう闘わなくていいのだ、と心で奥さんに語りかけるよりない。

 さて、こちとらは、現世で紫煙にまみれ地べたで生きながら、とある人の最終決断を促し続けている。
 そのある人がどういう生き方をされてきたか、などどう想像してもわかるわけがない。
 若くして親を亡くした結果の苦労は、名家である分、私などに想像出来ない。
 が、最終決断の時が来ていることだけは確かだ。
 
 
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小樽博物館・運河館と開かずの扉
 観光協会か、博物館かどちらかが発信するかと思ったがどちらもしないので、仕方がなく私が・・・・。

運河プラザ側からの扉開口
 1990年(H2)に、小樽の歴史ある営業倉庫の最古である「旧・小樽倉庫」石造倉庫を小樽市が購入保存再活用し、2つに区分し、小樽観光物産プラザと小樽市立博物館(現・小樽市立博物館・運河館)として開業した。

 それから、・・・20年を経た本年7月。
 やっと今年、その小樽観光物産プラザと小樽市立博物館(現・運河館)とを2つに区分している石壁の「開かずの扉」が開放された。

 運河プラザ側からも博物館・運河館側からも、人が行き来できるようになったのだ。
 ・・観光協会理事となり、当時の博物館館長と初めてその扉を開放して自由に行き来出来る方が互いに相乗効果がある、と話し合ってから三代の館長と10年が経っていた。
 ここまでついにきた、その労たるやいかばかりか、と博物館・観光協会双方の歩み寄りに拍手したい。




運河プラザと博物館の連結、中庭
 運河プラザ側から扉を開けると、
 広大な中庭が目前に広がる。
 こんな立派な生け垣があり、運河プラザ中庭より開口部のドアや窓があり、鉄扉がいい具合に配置されているなど、初めて知った(^^)
 旧・小樽倉庫の巨大さが、実際の姿として実感できる。

 20年間の開かずの扉が・・・今年開いた。

 一方は、博物館という教育施設、他方は、観光小樽の拠点・運河プラザ。
 ここを、博物館側は有料だが、自由に行き来できる環境にしようと、互いに話し合いを持ちながら、ただただ時間だけが過ぎてきていた。

  旧小樽倉庫の北半分を使う小樽市立博物館(現・運河館)側は、その一般入館入口が六車線臨港線側にあり、小樽倉庫の壮大な建物にしては目立たない小ささ で、極めて来館誘導は弱かった。 小樽が誇る歴史的建造物でその入口の拡大改装は望めず、学芸員ら職員の様々な企画展を開催しても来場者数の減少を食い止 められず悩んでいた。

 他方、旧小樽倉庫の南半分を使う運河プラザを運営する観光協会も、オープンしたときは周辺に観光施設がまだ少ない時代で、観光客でごった返し年 間百万人の来場者数を誇ったが、堺町通りの観光施設の展開と反対側の運河北地区に観光客を誘導する施設が配置されず、来場者数が減少していた。
 マイナスとマイナスが互いに相互依存相互補完しあえばプラスになると、話し合いは諦めず継続されてきた。

 時代はマスツーリズムからパーソナルなツーリズムに完全にシフトしていた。
 そして物見遊山観光から、体験型・知識探求型観光に時代はシフトしたいた。
 その時代のニーズに応え、両施設が隣接するという極めて優位な立地を活かせられる機会がきた。
 宝の持ち腐れ状態からの脱却をすることが問われていた。
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