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とうとう初雪の季節に・・・、でも歩きたい。
2009.11.01初雪
 2009年、小樽の初雪
 拙宅の、家族にはあまり人気はないが、私はお気にいりのコンクリート打ちっ放しテーブルも雪化粧。
 溢したインク跡、あふれさせたビールの跡、連れ合いの作った酒肴の汁跡、こぼした珈琲の跡と様々な跡で幾層にも沖積層になった天板も隠されて。

 今年は、何度このテーブルの上のMacのディスプレィを睨み、唸ってきたか(^^)
 
 霜夜(しもよ)
 静かなる深秋、大いなる明日のために
 大切にしている言葉を、日に一度は口にするという方法あり。
 冴冴とした星が空にある十一月の夜、心まで澄む時節の頃。
 季節は天候を一様にはさせない
 時雨もあれば、暖気もあり
 あるいは風もまた折折に。
 このような冬の日の変わりやすき中
 常かわらぬ晴朗なる心のありようを持つ人物が やはり際立つ。
 その人は 日々「志、堪忍、器」を銘じているのであろうか。
 茶の道の先達が 伝えたこの三つの大事こそが その人物の魅力。
 人が自分で大きく出来るものは それは「器」
 と 改めて思いつつ。
 男を一番ふさわしく語るのは、言葉
 そして、稔りの黄金の輝きの酒刻、・・・である。
などと、おつにすましてこのテーブルで沈思黙考する時節は終わった。

 阿羅還のくせに雪が降ると、街をそぞろ歩きたくなる。
 ヘルニア腰で歩くと翌日呻くくせにである。

 歩く、動く・・・。
 ポストモダンなどと言われて久しいが、その時代になって我々は初めて歩く楽しさを実感しつつある。
 近代を飛び越え、前近代の「歩く文化」が復活しつつある。
 人はなぜこうも再び歩き出したのだろう。
 もう、じっとしていられなくなったから。
 明日が見えなくなり、じっとしてたら底なし沼に沈んでしまうかもしれないという漠然とした不安にさい悩まされると、人は必ず動き、歩き始める。

 高校時代、理系ながら世界史・日本史だけに夢中になった。(^^)
 世界史の教師に、
 「なんで中世の暗黒の時代からいきなり大航海時代になったのか、まったくわかりません。」
と生意気に聞いたら、その教師は然る者(失礼)で、
 「中世の暗黒の時代、農業技術の発達で大開墾運動が終わり、人口増加は高まるのに作物生産量が一定で、食糧事情は悪くなり、栄養不足にペストが追い打ち欠けた。 不安で居たたまれなった。 つまり新大陸発見や喜望峰発見など夢とロマンとスピリッツという冒険者たちの時代のようについ思うが、自分たちの生きてく場所ではもう生きる展望がなくなり、やむなく西へ南へと動いていった、不安で動く。」
と。
 妙に納得したものだった。

 思えば、今の時代も全く同じではないか。
 昔は、祖父や両親、教師が、
 「道草くうな」
 「ブラブラ歩きなどみっともない」
 「一旦家から踏みでれば、七人の敵がいる」
と説教や教訓話をされたものだった。

 が、今の時代、とりわけ数年前、いやハシリはオイルショックからか、「散歩・逍遙・巡り」は盛んになった。

 そして歩く、動く時代のファッションも変わってしまった。
 小樽観光が爆発し、小樽運河や堺町に観光で訪れていただくお客様が雲霞のごとく押し寄せて来たとき、その小樽運河沿いの石造倉庫を観光施設に賃貸している倉庫会社の社長が、
 「お前たちは観光小樽と叫ぶが、もう観光は終わった」
とパーティで豪語した。
 一坪15万円程度で売買されていた石造倉庫が、坪400万円になって観光事業者の目がつり上がって時代に、「観光は終わった」と豪語する社長に興味を持ち、
 「なんで?」
と聞くと、
 「今の観光客の姿をどう思う?」
 「最近の観光客の姿をみているのか?」
と禅問答的返答、黙っていると焦れて、
 「ヒントだそうか、服装。」
と相変わらず、禅問答しまくりでまだ黙っていると、我慢しきれず、
 「あんな着古した穴開いたジーパンだぞ、もう普段着で観光に来ているのだから、お金を落とす額もたかが知れているだろうが、わからんかぁ。」
と得意満面・・・。
 「あのですね、観光小樽が終わったのではなく、社長、あなたの時代が終わったんです。」
と小耳に囁いてあげて、去る私がいた。
 
 もう違う土地にいくなどという発想すらない時代、
 たとえ数日でもいいから外国にまでいき、
 その土地の暮らしこそを楽しもうという時代、
 新婚旅行も夫婦そろってスーツ姿など逆に笑われ、普段着そのままの時代、
 パリの街をパリッ子のようにクレープを頬張りながら歩くのにあこがれる時代、
 つまりその土地の普段着の生活を楽しみたい、

 そういう時代にすでに突入していたのを知らない世代が観光事業者に石造倉庫を貸す世代だったわけだ。
 だから、歩く、動くということも、普段着感覚ということもわからず、観光客専用観光施設をつくり、客が来ないと泣いている。
 今までの日本の観光地の観光事業者が、そうだった。
 彼らもわかっていない。
 
 歩く、動く、町巡りを楽しむ。
 そういう時代になった。
 歩きながら街の変化を楽しめるようになると、これは自分の街だという実感が湧き出てくる。
 車で移動しているとき、自分の街もよその街もただ通過するだけの、やむを得ずとおり
だけの流れ去る風景、やむを得ず通りすぎる空間でしかなかった。

 歩きながら街の変化を楽しむ時代には、遊歩道こそが大事な装置となる。
 あまり足が疲れない木煉瓦を敷き詰める街もあれば、雨で滑らない煉瓦とか、どんどん工夫する街が増えている。
 つまり、来店していただく動機づけは、もうお店の外観や内装のレベルだけでない。
 歩き来ていただくためにどう居心地良く歩いていただくのか、という通り全体での工夫の時代なのだ。
 点字ブロックの上にまで商品を傍若無人に陳列し、歩行者の通行を阻止するようなノボリとノボリ用コンクリートブロックなどを歩道に置き、そのくせ歩道に落ちているゴミも拾わないようなそんな通りを、今の時代の旅人が認めるわけがない。
 
 普段着で観光するお客さんは、訪れた街を自分の街・庭と思える空間として歩き、それとはなしに楽しむ時間を求める。
 学生時代受けた建築史の授業で、イタリア(?だったか)名建築家のアルベルティは謂ったと教えられた。
  都市の道は曲がりくねっているのがいい。
  歩くたびに新しい景観が開け、
  都市の偉大さをます。
と。
 
 
  
 
 
 
 
 
 


 

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Comments
小川原さん 昨日はありがとうございました。10月17日の小川原さんのHPから、素敵な言葉を引用させてもらいました。
どうしんブログ9月1日からスタートしました。少しずつ読まれてきたようです。
Posted by かとちゃん | 2009/11/06 3:32 PM

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