一月中旬,大吹雪の函館で開催される観光人材育成講座で小樽報告にむかう途中,北海道・室蘭手前,虎杖浜の雲間からさす陽光を列車の窓から撮影.
鈍いグレーの水面に陽光がさしている,・・今の私の気分.
あしかけ2年間の事業が,終了する.
小樽祝津エリアに,明治期創建だが大変老朽化著しい漁場建築「茨木家中出張番屋」修復を軸に,祝津エリアの活性化とコミュニティー拠点構築の事業が,やっと最終段階に入った.
昨日,
小樽商工会議所
小樽市
小樽建設事業協会
小樽観光協会
NPO祝津たなげ会
北海道職業能力開発大学
一般社団法人しりべしツーリズムサポート
の6団体で構成される「
北後志風土ツーリズム協議会」が推進してきた「国交省・建設業と地域の元気回復助成事業」の最終協議会が,滞りなく終了した.
あしかけ,2年間,これに全力を投入した.
これまで,市内の主要団体が一体となっての歴史的建造物の修復事業をするなど,まちづくり市民運動の歴史がある小樽でも,初めてのことだ.
幸い,国土交通省が2年前の春「建設業と地域の元気回復助成事業」を全国公募するという情報をいち早く入手できた.
プレゼンを作成し,公募発表と同時に市内の環境作りをし,所有者・茨木誠一氏の祝津エリア復興への想いも相まって,祝津町会の協力を得て,幸い151箇所のうちの1つに選定を受けたからこその事業だった,
このままでは解体するよりなかった茨木家中出張番屋が,今祝津の海を見下ろし甦った.
勿論,助成金があってのことだ.
しかし,それ以上に人と人との繋がり,ネットワークがあったればこそ,様々な障害をクリアしての事業完遂だった.
多くの仲間が途中で諦めかけた.
しかし,30年来のまちづくり市民運動仲間数人だけが,諦めなかった.
その根拠は,所有者・茨木家の当主の思いとそれまでの小樽まちづくり運動で築かれたヒューマンネットワークの力だった.
自分に知恵があるわけではなかった.
だが,友人の友人のその又友人のところまで出張り,その方の知恵を授けてもらった.
古い小樽でも最古といわれる町内会がある祝津地区,一見保守的に見える漁師町も,とことん付き合って頂ければ腹を割って話せる関係が成立し, 私たちの面子を一番気遣ってもくれ,難関をクリアしつづけた.
どうしてもクリア出来ない法的課題が眼前にあった.
それをどう乗り越えるのかで唸っている私に,全く別名目の宴席をセットし,それとなく知恵を授けてくれる方々を連れてきてくれるという,粋な計らいしてくれる,官民の知恵者の助けも頂いた.
「アナタ,その齢で司法書士に挑戦するわけ?」
と,深夜六法全書ととっくみあいする私を支えてくれた家族と,
「祝津まちづくりで行ってくる,1時間で帰ってくる」
と祝津に行こうとし,
「まちづくりより,店づくり」
と,皮肉たっぷりに送ってくれたスタッフがいた.
首都東京の大監査法人でなければ公募事業要項を解釈できない,と笑いながら契約もしていない会計事務所が相談に乗ってくれた.
「もうダメです,これでダメなら私降ります」
と担当部署の仕事でないにもかかわらず,最後の最後まで付き合ってくれた官がいた.
本来茨木家中出張番屋を完全修復するには,お国の補助金の3〜4倍はかかるのに,ニヤリと笑いクリアする修復をやってのけてくれた大工さん達がいた.
危機的夫婦関係(^^)なのに,土曜日会社を終わって東京から駆けつけて翌朝子供のサッカー試合に間に合わせて帰る奇跡的小樽・東京間往復をやってのけてくれた仲間もいた.
私ならとっくにバンザイしていた,財団へのそれはもう膨大な助成事業に関する事務書類の作成を,柳に風と粛々と処理してくれる事業管理者の職員がいてくれた.
そして,この事業に着手する1年前,つまり4年前,真面目に板場で仕事している私を無理矢理祝津まで車で拉致し,茨木家中出張番屋と茨木家本宅を見せ解説してくれた大学研究者がいなければ,更に,日本の片田舎の小樽の漁村の老朽化した漁場建築を修復し地域コミュニティ拠点にしたいという夢を聞かされ,それに見合う補助事業情報をキャッチし知らせてくれた東京の仲間がいなければ,その全ての始まりはなかった.
書ききれない,ヒューマンネットーワークの塊でここまできた.
修復なった茨木家中出張番屋は,祝津エリアのコミュニティー拠点となる.
建物だけではない.
それまで任意団体だった「祝津町内会」が認可地縁団体資格を取得し運営管理をしていく.
同じく任意団体だった「祝津たなげ会」がNPO法人資格を取得し,町内会と協働で茨木家中出張番屋の活用を担っていく.
祝津の人々が蠢きはじめていく.
早速,NPO法人祝津たなげ会は,今年度方針を確定した.
この茨木家中出張番屋を拠点に,祝津エリアの観光シーズンの5月から半年間毎月祝津の魚介類や水産加工品を販売する「お魚市」を開催し,漁協婦人部がメインになって水産加工品開発を併せて実施していく.
昨年,茨木家中出張番屋竣工語の9月から冬期閉鎖の11月まで,視察見学者が約200名もあり今年度の茨木家中出張番屋視察に大きな手応えを得,更に,本州大手の旅行エージェンシーと組んで本州高校修学旅行で,市内市場巡りによる地場産品購入とそれを茨木家中出張番屋で漁協婦人部の指導で高校生自らが調理し食し,古老や観光ボランティアのニシン漁と漁場建築の講話,そして海に間近の雪原体験のツアー受け入れが3月実施される.
国の税金を投入してもらい,修復なった茨木家中出張番屋がただ存在するだけでは意味がない.
人が使ってこその,人の賑わいがあってこその 建築物だ.
茨木家中出張番屋は,40数棟ある祝津漁場建築群の軸となって,これから小樽祝津エリアのコミュニティ活動の一大拠点となり,地域の住民の様々なサークル活動拠点として,そして訪れる観光客の知的探求・体験学習型のニューツーリズムの発信源になっていく.
住んでよし訪れてよしの観光まちづくりの,文字通り実践だ.
2年間商売をうっちゃってやってきた事業が,こういう形で地域住民の活動を促していく一番いいパターンとなって終えることが出来,次の展開が始まる.
これが定着し,これからの祝津エリアの展望を切り開いていけばと,心から乾杯し,心地よい酔いを味わいたい.