医者から,2年の疲れ,すべてのスケジュールキャンセルして静養しなさい.と宣告され大人しくしている..
しかし,横になっているのに寝ていられない話が次々持ち込まれる..
負ける闘いは意味がない,・・・とは,私は言わない.
・・・若さは,おそれに打ち勝つ勇気の発露であり,安易さより冒険を求める.
そうだ,私も何度も負けて来た.
が,敗北から何も導かずまた3年もあったのに次を準備せず,結果,「情況だけ」からまた闘いを挑むなど,安易な冒険主義と言わざるを得ない.
自らの玉をもてないからとはいえ,だからといって自動的に自らが玉になろうとするのは,決定的に違う.
真面目に情況を見るのはいい.
が,真面目だけでは情況を変える埋め合わせにはならない.
情況だけを見ると,情況に溺れるという落とし穴がある.
もう一度,一から日頃の活動を着実にし,次の闘いのための牙を研ぎ,周囲の環境を作り出していく,その積み重ねこそが情況を自分に引き寄せられるのだ.
一度目は悲劇ですむが,二度目は喜劇で終わるしかない.
本当に本人のため,わが町のためと思って話し合った.
そして,多くの仲間も同様に話をしたという.
その仲間を今回も組織化できなかったところが何なのか,を考えてもらいたかった.
邪な動機で近づく連中は前回より多くなり,彼を支える陣営に混乱と疑心を醸し出すのではないか,と余計な心配もする.
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が,それもこれも.本人の決断だ.
申し訳ないが,私は安易に喝采する観客だけには・・・ならない.
・・・若さとは,
人生の一時期のことではなく,心のあり方のことだ.
ばら色の頬,紅い唇,柔らかなひざのことではない.
意志,豊かな想像力,強い情熱の問題であり,命の深い泉の新鮮さにある.
これはときに20歳の若者よりは,60歳の大人にやどっていることがある.
人は年の数を重ねて老いるのではない.
理想を捨てさるとき老いるのである.
しかし,もう一人.
直近で3度破れ4度目の敗北に一直線のご仁もおられる.
一度目は悲劇,2度目は喜劇なら,このご仁をどういえばいいか,私も表現に困る.
「初心者より経験者」などという陳腐な理由で出馬する.
その経験者が,過去3度も連続敗北したのに,である.
「自己肥大化症候群」がとまらないらしい.
前回,市民病院建設問題では「ペンキ塗替」だけという迷施策を打ち出し市民を絶句させ,市長給与は「ゼロ」と最悪ポピュリズム施策で,庶民に笑われた.
そして今回も,関係者の立起表明の場をつかい,取り巻きに「立起を」と言わせる田舎猿芝居三昧.
いくらリサイクル時代とはいえ,賞味期限切れバーゲンセールや廃棄処分セールなど,庶民の世界だけでいい.
そして結局この町の経済人は,火中の栗はひろわなかった.
普段,小樽のまちをなんとかし,雇用を増やさねば,と喧伝されて来たご仁たちが,結局混迷に混迷を重ね,かろうじて神輿はなんとか担ぎ上げた.
が,結局,また他人のふんどし路線をわが町の経済人は選択した.
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町に閉塞感が蔓延し,「何かすっきりしたい」という期待感とが共振しあい,誰を最終的に選択するのか,わからない.
いずれにせよ.
我々は,牙を研ぐのを忘れない.