今日日本都市計画の第一人者である、
東京大学大学院教授・西村幸夫氏や千葉大学大学院教授・福川裕一氏の両氏が、
若かりし三〇年前、
「日々書き下ろされるまちづくり運動の教科書」
と評された
「小樽運河保存運動として展開されたまちづくり市民運動」
があった。
そして・・、
「まちづくり」運動としての小樽運河保存運動は、
行政手続きが全て完了した地方都市計画に挑み、
市民サイドから代替道路案を提案し、
外には市民意識を揺り動かし、
内には小樽運河講座三期三十数回の開講に代表される主体の力量を蓄えながら、
小樽運河と周辺の歴史的環境の保存再生を核とした『まちづくり』を提案した。
石油ショックや敵失で、ある時は首の皮一枚で生きのびてきた。
最後の勝利など確信したものなど保存派内部にも少なかった。
しかし、十三年の小樽運河保存運動は、
会議所の「保存決断」を呼び、
小樽の市民各界各層を網羅した百人委員会を結成させ、
十万人署名を達成し、
運動は最高潮をむかえながら、最後の高揚で終わった。
結論から言うと小樽運河保存運動は、
小樽市、北海道どころか、
建設省、運輸省、自治省、文部省、文化庁、環境庁という国の省庁を関わらせ、
西武流通グループを関わらせ、
田中角栄元首相まで関わらせる、
『超』市民運動、一大「国民運動」の性格を持つに至る運動であった、
・・・といっても過言でない。」
…環境文化第?号・宮丸氏
と評された、わがまちの小樽運河保存運動。
その小樽運河保存運動が内包していた本質的課題は、何であったのか。
昭和59年に終焉した「小樽運河保存問題」が、二〇有余年を経た今日の日本のまちづくりに何を突きつけているのか。
として、11/07小樽市マリンホールで、
「小樽運河と石造倉庫群の保存運動から何を受け継ぐのか」
と題して、峯山冨美・小樽運河を守る会会長の日本建築学会文化賞受賞記念シンポジウムが、日本建築学会北海道支部・日本都市計画学会北海道支部の主催で開催された。
S59年から24年間計36回小樽運河保存運動をテーマとし現地調査を続けておられる法政大学社会学部教授・堀川三郎氏の基調報告と小樽運河を守る会会長・峯山冨美氏の基調講演、そして、前述の西村幸夫氏をはじめ五名のパネルディスカッションである。
小樽現地からは、山口保市議会議員がパネリストに。
齢94歳になられる小樽運河を守る会会長・峯山冨美氏の苦闘された12年にわたる小樽運河保存運動とそして今日までの生きざまのお話は、その高齢なお歳を考えると今の時代に、可能な限り届けておかねばならない。
そして、その峯山冨美さんのお話をリアルにわかって頂くために、24年の小樽調査に基づく当日の基調報告で自らさりげなく苦闘と言われた研究を続けてこられた法政大学社会学部教授・堀川三郎氏に基調報告をして頂くと、シンポジウム事務局に私は推した。
峯山冨美会長も堀川三郎氏も、私のそんな勝手な思いを見事に実現して頂いた。
とりわけ、堀川氏の基調報告はその内容、美しさ、ストーリー、いずれも入念に準備されたエンターティメントと言ったら怒られるか、見事だった。
用意された堀川三郎氏のレジュメは、シンポジウムが開始された段階で100部は余る予定だったが、シンポジウム終了後残部はゼロだったことにそれが証明される。
堀川氏の講演があったから、峰山会長さんの講演への理解度が何倍にも膨らんだし、峯山さんのお話の素晴らしさは言うに及ばず、二人の講演を通して、最後に山場として峰山さんの「地域に生きる」という言葉が、深く聞いている人に心に届いたはずである。
このシンポジウム報告書が、これからつくられる。
後日マスコミ数社が紙面等で紹介頂いたが、どれも「サビ抜き」の寿司いやネタなしの寿司的記事だった。
峯山会長のお話を載録されたが、堀川氏の基調報告に関するコメントは・・どれも皆無だった。
まあ、無理もない。(^^)
シンポジウムへの参加の前せめて報道記者として事前調査をされないで来られては、理解の範疇を超えていたのだろうし、当然筆は進まなかったのも無理ない、
イベント感覚で取材に来られたら、コメント出来るような甘い基調報告ではなかった。
1. はじめに (イントロ)
2. 札幌を「恨む」町・小樽 (都市史)
3. 小樽運河保存運動の展開過程 (運動史)
4. 運河・ポート・雪あかり (観光史)
5. 小樽は何を得て,何を失ったのか(まとめ)
として基調報告がなされたが、小樽のまちづくり30年を45分で語らせるのが実に気の毒だった。
小樽運河保存運動は、単なる道路建設反対運動だった的理解の範疇を超える、今日の都市が抱える問題、そして自治体財政困窮から猫も杓子も「観光まちおこし」に奔る昨今、小樽が観光都市になっていくプロセスはどういうものであったのかを基調報告は鋭く看破してくれた。
「主体無き意図せざる結果としての観光都市化」
「保存とは変化」
「小樽運河保存問題は、道路問題、代表制問題、再開発戦略問題、都市のあり方というレイヤーを貫く多層レイヤーの集合である」
「ポートフェスティバルは、保存運動の転換点のひとつを用意した重要なイベントであり、実物の出店による「運河地区再興のプレゼンテーション」
これまで、建築や都市計画の研究者から小樽運河保存運動は多くの評価を頂いてきた。
が、社会学という見地からの小樽運河保存運動へ評価を、小樽運河保存運動終焉後の小樽のまちのプロセスを追うことで検証してきた上の、新たな規定が次々と。
そしてこれからの小樽は、
「観光都市ではなく、都市観光を」
「小樽は,都市をどう生きるか,都市をどう創るかという,「都市の思想」を問い続けている」
「保存とは,変化すること、住民主導による変化の社会的コントロールという課題をどう制度化するか」
とし、
その意味で、小樽運河保存運動はまだまだ終わっていない、日々書き下ろされるまちづくり運動の教科書は今も続くのだ、と。
「落とし前をつける」と言い続けてきた私の意味が、・・ここにある。
ポートフェスティバルを、サマーフェスティバルを担った当時二〇代の若者がそれぞれ四〇-五〇代となってシンポジウムに参加してくれた。
当時、市職員だったかどうか、そんな市職員も年休をとって参加してくれた。
遠く広島県・鞆の浦のまちづくりを進める、小樽運河保存運動の敗北の突破に挑戦する仲間も参加してくれた。
多くの建築、都市計画、社会学を専攻し学ぶ若者が参加してくれた。
が、堀川氏が「凍結保存」派と規定した小樽運河を守る会分裂の一方の仲間の姿は見つけられなかった。
もうすぐ演劇「赤い運河」を演じられようとする劇団関係者は来てくれたのだろうか?
小樽運河保存運動の一大転換のきっかけとなったポートフェスティバル実行委メンバーや小樽雪あかりの路ボランティアスタッフの皆さんで市内で桜や柳の植樹を展開する《小樽緑のまちづくりの会》が、峯山冨美さんの日本建築学会文化賞を記念して、北運河公園に桜の植樹と一緒に設置した「地域に生きる」と彫り込んだプレート。
そばで成長していく桜の樹を訪れる人々に、この記念プレートは
ただ漫然と平々凡々に地域に住むのではなく、
その地域を知り深くかかわりあって生きていく、
それこそが、地域に生きることであり、《まちづくり》なのだ
と語りかけ続けていくことになる。