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変化とコントロール、法政大学社会学部社会調査実習報告書
法政大学社会調査報告書

 ・・私の学生時代は「演劇」に夢中になる若者が多かった。。
 私は深入りはしなかった。
 が、ガード下の赤提灯でよく口から鍔を飛ばしながら、演劇をアナロジーして社会を論じたものだった。
 そもそも理論=Theoryは,、劇場=Theatreと語源が同じだ。
 ヒトの社会的行動の鍵の概念である「地位・役割」は、演劇での「配役」から来ている。
 「人格=Personality」という概念も、その基は演劇で使われる「仮面」=Personaから派生したもの。
 普段、使っているカタカナ言葉が、演劇から派生してきたのを意識はしていない。
 私の学生時代、演劇に夢中になる学生達は結構アナーキーな反面、あらゆる事象を演劇や祝祭や儀礼として収斂させてしまう傾向になりがちで、私には支配・被支配の関係や国家の存在などを軽視しているように見え、それにのめり込まないできた。
 というよりも、政治から逃げ込む、ためにする演劇志向に思えた。
 爾来、演劇はかじってきていない。

 が、いわゆる理論というものは、この演劇的ニュアンスから脱皮しようと、自然史的過程や唯物論的過程を経て、機械的システム論的な世界の色彩を強め、結果逆に干涸らびていったのではないか。
 であるがゆえに、そのような社会的理論は、いつしか国や官僚やコンサルタントなどによって地域診断などのツールに転用され、対象の地域にどのような人間がどのように生活をしているかなど一切見向きもせず切り捨て、ひたすら歴史的必然や効率によって地域を客観主義的に規定し、一見快刀乱麻を断つがごとく結論づけ、地域人にとっては無謀とも言える解決策を強制してきた。
 国や官僚やコンサルタントの地域診断報告書に登場する人間は、おおかた
   「Nobody=誰でもないヒト」、
   「Anybody=誰でもよいヒト」
であって、
   「Somebody=誰かであるヒト」ではなかった・・・。
 しかし、地域人は、顔も名もある人達である。
 歴史的必然や効率性にとらわれた者達が一方的にみるマスでしかない地域ヒトが、実は面白真面目に仕事と遊びを共有し、涙し笑う、無駄の効用を享受する一人一人の人間なのだ。
 そうした目で見ると、理論的で冷たい客観的数字の世界でひと塊だった地域が、殺していた息吹を吹き返し、鮮やかに際だち色づく。
 
 「 都会の人間より俺たち田舎の人間の方がよほど大人だ。
   都会に住むやつらはなんでも気が合う者同士だけでの付き合いしかせん。
   が、俺たち田舎人は、近隣と好き嫌いを超えたところで付き合っていかないと
   全てがうまく回らないし、生きていけない。
   そんな生活が『無駄なライフスタイル、地域社会に自由がない』などと都会人
   の奴らは言ってきた。
   が、どうだ、今では無駄には効用が沢山あり、意味があることが判明し、
   大災害などのときどれだけその無駄と言われた近所付き合いが力を発揮した
   か。
   もう「地域社会からの自由」じゃなく「地域社会への自由」の時代だ。
   俺たち田舎人こそがはるかに都会人より大人で中身のある生活をしてきたん
   じゃねぇのかい。」
という、わが後志にもこう言い放つ人々が出てきている。
 
 実は、ある報告書を送って頂き、ページをめくりながら、こんなことをふと感じた。
 
 送って頂いた報告書は、
   「2008 法政大学社会学部社会調査実習報告書
     都市ガヴァナンスの社会学的実証研究(2)
     堀川三郎・森久聡編」
である。
法政大小樽調査打ち上げ
 この法政大学社会学部の学生さん達の小樽調査実習は、1997年に始まり1999年まで続き、一時監督役の堀川三郎社会学部教授がアメリカ・ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員で渡米され中断したが、2007年から再開されている。
 昨年は時代なのか、調査チームすべてが女子学生で担われた。
 「データをもって議論する」)をモットーにする堀川三郎教授の実に厳しい指導に、今の時代耐えうるのは女子大生達だけらしい。(^^)

 学生さん達は限られた一週間ではあるが小樽調査をし、ヒアリング対象者から放たれる言葉のエッセンスと自らの問題意識とを絡めながら自らのテーマを決めていく、というスタイルがこの報告書の流儀。
 今年のその彼女らの論文を読ませてもらうと、引用されるヒアリング対象者の文章と彼女らの論旨とにちぐはぐ感がなく、今回はどのテーマも結構ドキドキ感をもって読ませてもらった。
 以下、その感想を書く。
 
 1.「小樽港はだれのものか」・・市民と水辺の関係の再構築
 
   よくまあ、港湾という百%国家政策下にある存在をテーマとしたものだと想い
   ながら読ませてもらった。
   世の中を少しは知っている振りをする大人は、港湾という存在の巨大さと表層
   下の何層ものレイヤーの膨大な厚みにたじろぎ、テーマなどにはしない。
   又、小樽運河保存運動時、保存派は運河と密接な小樽港に関して敢えて触れな
   いできた。
   それは、明治以降膨大な国家予算が当時の小樽港の戦略的位置からして投下さ
   れてきた歴史性をもち、結果膨大な既得権益と利害関係で港湾一家ともいえる
   存在を形成してきていた。
   道路建設というテーマでさえ重いのに、さらに港湾までテーマにするには、主
   体の準備のなさや自らの力量からする、彼我の運動展開上の余裕の有無を、計
   量せざるをえなかったからだ。
   平成に入ってからやっと港湾を都市機能と位置づける会議をもてたくらいだっ
   たので、ヒアリングのとき、港湾は深いぞ、とおどしたつもりだった。
   が、それにも係わらず挑戦した、学生さんお心意気や良しだ。
   
   登校(登研究室)拒否的症候群にどの学生さんも陥りかけたとも聞く。(^^)
   限られたハードな一週間の調査期間、大学に帰ってからの膨大なテープ起し、
   そして自らの論文テーマの決定と参考文献とのとっくみあいであったことは予
   想できる。
   そんな苦闘をしてきた学生さんたちに、調査の深さの度合いを求めるのは、無
   理がある、というか可哀想。
   が、例えば、本州各県の港湾は管理者が国と都府県だが、北海道だけは道では
   なく、国と各市町村自治体であること、つまり小樽港湾は市長が管理者である
   分小樽の港湾業界との関係は一種独特であることを理解しないと、現状把握に
   齟齬が生じる。
   それを踏まえれば、「港湾へ都市機能を持たせる」という港湾事業者が目を剥
   くことを今言い始めたヒアリング対象者のその言葉の重さは、また違ってく
   る、と。
   

 2.「まちづくり主体に求められるものとは何か」
   ・・まちづくりにおける井戸掘型市民の可能性
   
   控え目で大人しい印象の学生さんだったが、まあ、この論文の視点の鋭いこ
   と、再度呑みながら語り合いたくなるほどの感覚を覚えた。
   
   「小樽観光都市宣言」をこうまで深く分析し読み解いていただいた。
   この観光都市宣言を起草する委員会(民間人)に参加していた。
   10バージョンくらい作られての結果の観光都市宣言だった。
   他都市にみられる観光都市宣言は、報告書の第三論文のテーマでも取り上げて
   いる「まちの特有の個性」を喧伝し、それをもって観光施策を推進せんとする。
   が、逆にとおり一遍の歯の浮くような観光都市宣言が多い。
   「癒し」「憩い」などがちりばめられたキャッチコピー的宣言など今さらなが
   ら必要ない。
   そのような日本の諸都市の観光宣言の流れに抗し、「今さらながら」小樽観光
   が問われている課題こそを盛り込む宣言とする、たとえそれが他都市の観光都
   市宣言と全く違うものになってもいい、観光のお客様を誘うよりまずお客様を
   受け入れる小樽がどういう観光都市を目指すのかこそを宣言すべき、という委
   員の固い意志と、それが挫けそうになる役所言葉との戦い(民間委員が起草す
   るが小樽市が宣言するため)の末の宣言だった。
   なにせ、市長が宣言すれば手続き的に済むものを、市議会承認を経ての決定を
   敢えて選んだ。
   小樽市議こそ先頭で観光都市宣言を実践せよ、という意を込めた。
   この学生さんの論文を、まずは小樽市議全員に読み合わせをさせたくなる。

   そしてこの学生さんの視点は更に角度鋭く迫っていく。

   「空間認識の差異」といい、運河地区の隣接する「D小路」と「洋服のA」へ
   の市民の反応を調査し、(私から見れば両建物も目くそ鼻くそを笑うで、イミ
   テーションという点では前者の方がより醜悪であるのだが)洋服のAへの非難
   の温度が高くD小路への非難が低い、その市民の「質」を問い「観光のまなざ
   し」のもつ意味に答えを求め、筆者は再び小樽市観光都市宣言が築こうとする
   まちづくりの質に立ち戻り、まちづくり主体を語る。
   この学生さんの論文を読み、思い出した。
   元気な主婦で、ブログを駆使し小樽発信をしている人といきなり馴染みの居酒
   屋で出会ってカウンター席に座った途端・・・、
   「ゆるせません」
   「何が?」
   「今度出来た洋服のA」
   「ふぅうむ、そうだな。」
   「D小路のやぐらから見る景色が遮断されてひどい、それにあのデザインも」
   「そうだよな、運河周囲の景観を一顧だにしていない。でもD小路自身はどう
    なのかな?」
   「はぁ?」
   「本物の歴史的建造物のある街に偽物をコピー&ペーストした建物作るてぇの
    は、どうなんだい?」
   「でも、洋服のAと比較するとまだいいじゃないですか」
   「目くそ鼻くそ、じゃねぇのか」
   「観光カリスマがそんなこというもんじゃありません」
   「あそこはな、前はでっかい蟹の看板あげた寿司屋だった、どうもあの角地は
    小樽観光まちづくりの鬼門だな。
    あの角地が小樽観光の質を露わにしている」
   「観光カリスマが、大人になれない子供みたいなこと、言ってるぅぅ」
   「あのな、大人をからかうなって! D小路の前の建物知ってっか? 小樽銀行
    協会だが、古くて痛みがひどいなどという理由で壊されてしまったが、とんで
    もない、北海道で最高品質のモルタル建築で、破壊される前の専門家の調査で
    は部分的補修が必要な箇所はあるが、大変管理はよく、倒壊の危険性などこれ
    っぽっちもない、とな。」
   「そんなことぉ、知らないものぉぉ」
   「D小路の進出時のキャンペーンをそのまま容認しちゃだめだわ。
    知らないってぇことは、一種の罪なんだな。」
   「ま、ひどいぃぃ。」
   ・・カウンターでお怒りになる彼女の奥となりには、D小路の建築を請け負った
   建設会社の社長が、一人ワインを飲んでいた。
   
   この小樽市民の「空間認識の差異」を分析し整理しようとした執筆者の試みは、
   わずか一週間という小樽調査期間での発見も含め、大変評価できる。
   人間とはいかに面妖なものか。
   『まち』も人も、整合性的で理性的で論理的な成長発展などしない、複雑に不均
   等・複合発展するのが、そもそも人だ。 一見保守的に見える層としての人間が、
   いきなりラジカルなところから声を大にし行動をとる、そんな経験をしてきた私
   と、20代の執筆者とに、どういう共通の言葉をもてばいいかと悩む。
   
   いずれにせよ、その検証は執筆者の任ではなく、小樽人たる「井戸掘型市民」の私た
   ちでは・・ある。
   
《つづく》20090501

法政大小樽調査チームおすまし
  GW突入。
  GWでしか来樽できない友人や仲間が来訪され、つい飲み屋にいってしまって。
  拙ブログで、報告書の感想の続きを書かねばというプレッシャーがあればあるほど、悪い癖で酔いを深めてしまい、1日あいたが、以下に続ける。

 3.「小樽のまちは特有の性質を持っていたか」
    ・・個性の複数性について考える
   
   元来、思弁的論議は得意でないのだが、観光まちづくりを担おうとするものに
   とって、まちの「個性の複数性」という極めて重いテーマに挑戦したことに、
   エールをおくろう。

   テーマがテーマだ、饒舌にもなるし、思弁的にもなろう。
   
   小樽のまちの個性は?と何十年間何百回その時々場面場面で話し合ってきたこ
   とか。
   その都度、強調して押し出すべき個性は変わりはするものの、譲れない、必ず
   打ち出さねばならないものをと論議してきた、30有余年ではある。
   どの町も「まちづくり」をしようとすると、わが『まち』の個性の再発見作業
   が問われるのも、自らの町の個性の確認が如何に大事かの証左だ。
   
   数年前から色々な町のパンフを調べているが、無作為に年代関係なく抽出して
   みたのが以下だ。  
   ●恵まれた”みどりと水”。ロマンからアクションへ
   (愛知県足助町)
   ●夢つむぐ里。光の中でロマンを見る。
   (愛知県内子町)
   ●豊かさとやすらぎ 共に創りあげる ときめきの
   (山形県米沢市)
   ●心に響く21世紀。夢を力に、輝く未来へ
   (長野県小布施町)
   ●大自然のシンフォニー、文化交流のまち
   (富山県黒部市)
   ●世界にはばたく交流ネットワーク都市
   (京都府舞鶴市)
   ●あたたかな心のぬくもりが伝わる
   (北海道士別市)
   そしてわが町は、
   ●歴史とロマン、ノスタルジック
   (北海道小樽市)
   
   とにかく自然環境の良さを誇り、人間関係の濃厚さを誇り、概念的には「ふれ
   あい」「ぬくもり」「やさしさ」「ロマン」「癒し」など、要は非日常のへの
   観光を誘おうとしているわけだ。
   しかし、()の市町村名がなければどの町なのか。
   ()の市町村名を削除し、市町村名だけを並べ、該当するコピーはどれかとク
   イズにしたら、百%正解はまずないだろう。
   「まちの個性」とは何なのかをいぶかってしまう。
   
   34年前、帰省した小樽にはかろうじて生き延びてきた小樽運河保存運動があ
   った。
   1975年第一次石油ショック→急成長から安定成長期→進歩への懐疑→反動
   からレトロ風潮→破壊しまくった高度成長への反省・反動→「まちおこし」の
   盛り上がり、という社会の流れは、私にはあまりにも当然の歴史的流れだった。

   そして、オリジナリティなしの文化の発信がない、ただ歴史と社会の変質の流
   れに身を任せての小樽運河保存運動ならまっぴらだと、思いながら参加してき
   て今がある。
   どこの「まちづくり」であっても、歴史を作ろうととし、そこに意識を持とう
   としなければ、つまり歴史の流れにただ従うだけではなくオリジナリティを主
   張することなしには、文化的にはもちろん、商業的にすら永続しない。
   「まちづくり」も歴史から自由でない。
   もっと悲惨のなことに「観光」にいたっては、「流行」からも自由ではない。
   そして流行にとりつかれた「まちづくり」は、典型的なのはNHK大河ドラマ
   で一時勢いづく『まち』の大概がそうであるように、ドラマ終了とともにその
『まち』の付和雷同型まちおこしは終焉し、歴史の中に消えていくしかない。
   
   小樽人とって、小樽は運河や堺町だけの『まち』ではない。
   旧国鉄手宮線や『まち』に点在する歴史的建造物や近代化産業遺産など、運河
   と同等かそれ以上の資源がある。
   そして、路地裏とそこにあるいぶし銀の小店を営々と営む人々こそが小樽の至
   福だ。
   そのような視点で、自分の『まち』の個性や特異性を見続けながら、それへの
   認知を一層たかめようとする。
   ランドマーク的個性への発展途上の小樽運河から、さらに小樽のまちの「個性
   の複数性」こそを追求していこうとし、これからの「観光まちづくり」主体は
   それを背負う。
   小樽・ニセコなど20市町村の広域観光を9年やってきているが、どの『ま
   ち』を訪れても素晴らしい個性がよそ者の目には際だって見えてくる。 
   あまりにも個性豊かでありすぎて、的を絞りきれない、いわゆる贅沢な『まち』
   もある。
   そんな『まち』で懸命に観光まちづくりを頑張り、自らの『まち』の個性の再
   発見作業を懸命にし、そこで疲れて立ち止まる『まち』がなんと多いことか。

   いずれにしても、『まち』の個性の複数性を確認しながら、一つに収斂させる
   危険性に戸惑いながらもその作業をしていかなければならないところに、日本
   の猫の目農政や都市政策不在、効率性、費用対効果などで切り捨てられてきた
   地域の「まちづくり」の呻きと苦闘がある。
   
   この執筆者の論文「小樽のまちは特有の性質を持っていたか」という、挑戦的
   でショッキングな表題と「個性の複数性について考える」というテーマも、思
   弁の長い坂道を登坂することになるのだろう。
   この執筆者の問題意識が今後どう発展していくのだろうか、楽しみだ。

  4.「コミュニティという『シャングリラ』
     ・・コミュニティの乖離と混同のロジック
     
    「い・か・の・お・す・し」・・・絶句し、「つかみ」の巧みさに拍手した。

    それにしても、今回の法政大学社会学部社会調査実習報告書に掲載された4
   つの論文の「テーマ名」は過去の報告書の学生さんの論文の中でも、秀逸だ。
    コミュニティという言葉のもつ面妖さを「シャングリラ」とは、恐れいいっ
   た。
    実は、執筆者同様私も同じ思いできた。
    コミュニティやアイデンティティという言葉の面妖さをいつも感じながらも、
   しかし小樽のまちづくりの語り部役としては、どうしても使わざるをえないで
   きた。(^^)
    また、執筆者のこれまでの先行研究のコミュニティ論の紹介は、とりわけ日
   本独特の町内会への考証は、大変勉強になった。
    生意気さに満ちあふれた文章も、実に久方振りで学生さんらしく小気味よい。
    (^^)

    50代前半に比し読書量が激減してきている私は、この執筆者のようにコ
   ミュニティ「論」を勉強し取っ組み合う作業は、残念ながら体力がついていか
   ない。 現に、お国の公募事業への膨大な量の申請書類を前に締め切りを睨み、
   唸って、ブログに逃げ込んでいる(^^)
    蕎麦屋親爺的、コミュニティというカタカナ言葉の捉まえ方を、書くよりな
   い。
    
    私にとってコミュニティというカタカナ言葉と同質のものに、アイデンティ
   ティがあるし、イベントがある。
    鶴見俊輔的にいうと「お守り言葉」化してきている。
    戦前戦中の「国体・翼賛・八紘一宇」が戦後は「平和・民主・デモクラシー」
    とお守り言葉が変遷し、社会を語る際「アイデンティティ・コミュニティ・
    イベント」などがお守り言葉化されてきている。
    言葉は常に大衆化と同時に汚されていく。
    「まちづくり」などその典型だろう。
    これも論議していくと、深みにはまる。 
  
    が、アイデンティティを
      「私は私である」
      「わが町はわがまちである」
   くらいの感覚で語るとすると、この論文執筆者に謂わせると「現実の地域社会
   と理想の地域社会の混同」と逆襲されるのを覚悟で、このアイデンティティ確
   認・形成の場、チャンネルがコミュニティではないのか、と私は思いたい。
    
    雪あかりの路の参加不参加のシンボルは「スノーキャンドル」であり、実に
   明快なツールとしてある。
    が、雪あかりの路を生んだ当初、その参加の裾野の拡大を如何に、何処に求
   めるかが一大課題だった。
    とある町内会が、雪あかりの路実行委に
      「町内会はもう若者がいなく役員も高齢者でやっと維持して
       いるだけ、しかし町内会婦人部からなんで私たちの町内会
       はスノーキャンドルを灯さないのか、と突き上げられ困っ
       ている。
       わが町内会の要所要所にスノーキャンドルを雪あかりの路
       実行委で点灯してくれないだろうか、その労務に寄付で答
       える形にしたいので、受けてくれないか」
   と依頼してきた。
    設立当初であり、雪あかりの路運営資金は喉から手が出るほどほしかった。
    が、実行委の主要メンバーで相談の結果、決然とこの依頼をお断りした。
    例え、町内会会長だけでいいから、一個でいいから自分でスノーキャンドル
   を期間中灯して頂くことが、雪あかりの路実行委の趣旨です、と。
    そして、翌年、業を煮やした婦人部さんが手分けしてスノーキャンドルを町
   内に灯してくれた。
    そのスノーキャンドル点灯作業をしたくて、若い住人が町内会に入会もした
   と得意満面に婦人部が言ってくれもした。
    以来、小樽の『まち』の町内会にとっては、慰安会と敬老会に加え、町内の
   誰それのスノーキャンドルが一番出来が良いかという会話をともない、雪あか
   りの路参加が、町内会の「統一行動」イベントになっていき、今がある。
    
    ここにイベント(学問的には擬似イベントか)のもつ本来の意味があるし、
   それを通じて「現実の地域社会」の表現たる町内会的なものの「理想の地域社
   会」としてのコミュニティ化があるのではないだろうか。
   
    執筆者の、
    「コミュニティは・・謂わば”みんなのもの”である。・・・”みんなのも
    の”である以上、特定の人々の趣味・思考・利害に偏った方向にむかいないよ
    う留意していかねばならない」
   というまとめに敬意をはらい、最後に、コミュニティには「戦いと緊張感」と
   いう視点が必要なのではないか、と投げかけたい。

    「戦い」という言葉を書くと「クマ」さんあたりが、全共闘世代はすぐそう
   いう言葉を使いたがる、というかもしれない。
    しかし、「牧歌的コミュニティ」という先行研究者の言葉に幻惑されたか、
   はたまたヒアリング対象者Y氏がいうヨーロッパのムラのコミュニティの良さ
   の語りに惑わされたか?
    常に大陸であって地続きであって、敵がどこからもやってき、いつムラの畑
   の向こうの森から外敵が現れるかという「不安感」「緊張感」が、ヨーロッパ
   のムラなり『まち』なりに小さく凝縮して身を縮める感覚で形づくらねばなら
   なかった。
    それが「牧歌的コミュニティ」の裏にあるのではないだろうか。
    村や町にとって、共同体としての目に見える形・範囲での結束・・、こそが至
   上命題だった。
    教会の塔や市庁舎の主塔など、今の平和ぼけの時代にはランドマークと呼ば
   れるものの、当時は「その下に結束すべき対外的緊張の現れ」だった。
    先行研究者の当該論文など読んでいないので言及していたら失礼だが、ヨー
   ロッパの牧歌的コミュニティと規定する言葉の裏には、その「張り詰めた緊張
   感」の歴史的蓄積と連続性があるからこそ、今コミュニティの良さとして映る
   のではないだろうか。
    薦田論文の「引き継いでいく個性・通時代的個性・同時代的個性」の観点で
   考えられる。
    外敵が存在しなくなった現代(といっても、わずか冷戦以降EUが出来てか
   らであるが)でも、そのような小さなまとまりこそが、おしなべて美しい。
    住民が一つになり、地形や自然条件を熟知して、張り詰めた心で自らの村や
   町を形づくるからである。
    別に「外敵」だけに、牧歌的コミュニティが規定されているのではない。
    日本にもある小さな村や町をみればいい。
    周囲の厳しい自然条件との「戦い」からくる「緊張感」が美しい村や町を形
   づくってきたのである。
    合掌造りで世界遺産に登録された富山県五箇山や岐阜県白川郷がそうであり、
   国交省農村アメニティコンクールで九二年最優秀をもらった新潟県高柳町も茅
   葺き屋根の環濠集落がそうである。 
   
    それに、ヨーロッパの『まち』や村には島国日本では想像できない、多くの
   国々の「よそ者」が訪れる。
    とりわけ馬車の発明はヨーロッパの人々の交通を促進した。
    それが、大旅行時代をヨーロッパに促した。
    ナポレオン法典の時代に、国民の交通権が保障された国々・・なのだ。
    国内外からのよそ者が来る、訪れてくる、それをどう迎えるのかという張り
   詰めた緊張感が、小さな『まち』や村にまでも問われた。
    いわゆる「牧歌的コミュニティ」は、背後に多くの要素を隠している。
    いずれにしても、コミュニティにとって「闘いとよそ者との交流からくる緊
   張感」が重要な要素なのではないか。

    社会学などかじったことのない蕎麦屋親爺は、ついつい経験主義的・運動論
   的に考えてしまうわけである。
    
   以上。
     
    PS:
     フーッ!

     魔の小樽現地調査と果てることのないテープ起こしとそのヒアリングの
    エッセンスと自分の問題意識の絡め合いでのテーマ決定、最後に待ち受ける
    鬼の味付け指導という、生まれて初めての闘争をやりきった学生さんたちの
    報告書だからこそ、とついつい饒舌になってしまった。(^^)
    
     そうそうこの法政大学社会学部社会調査実習で二年目グリーンブックにも
    この第四論文の執筆者と同じ若者がいた。(^^)
     勿論、態度が生意気なのではない、文章がそうなのだ、だからうれしくも
    なる。
     総じてこの2008社会学部社会調査実習報告書の特徴は、全体に流れる
    「生意気さ」と「テーマの巨大さ」が、実に素敵である。
    
     この4人に、もう一人の彼女、わが女将に「法政の東京大学」を代表して
    綺麗な花束をプレゼントしてくれたその彼女の、戦いながら憤死した論文も
    なんとも読んでみたかった。
     おそらく「生意気」に巨大なテーマを選択したのだろう(^^)
     自らの主体の準備や余裕の計量など一顧だにせず挑戦するのが若者の特権
    なのだ、憤死した論文が這い上がりたがっている。
     なにせ堀川ゼミなのだから、いつか、読ませてもらえればと。
    
     5人のチーム堀川の学生さん、勉強させてもらいありがとう。

     2009.05.03 am11:25
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Comments
2年過ぎて読んでみた。
これは・・・書き過ぎだ(^^)

でも、チーム堀川の学生さん達との会話は、シナプスが断裂しアルコールの海に腐臭を放ちながら浮かぶ私の脳髄に残っている。
Posted by 蕎麦屋親爺 | 2011/09/14 9:04 PM

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