2008年9月6日.
小樽から赤井川村をぬけ倶知安町までの国道393の未開通部分の全工事が終了.
やっと昭和61年着工から20数年を経て全線が開通した.
その黄葉にはまだ早い倶知安側から赤井川を通り小樽への帰途,つくづく考えた.
道路一般財源問題と不祥事,そして二重行政をこれ幸いにした北海道開発局の解体と道への統合という流れの狭間で,すっかり守勢にたたされた国交省とその出先機関.
道路建設チェックと道路予算削減の嵐で,必要な道路は作らねばならぬと堂々論陣を張れないムードが蔓延している.
確かに交通量の総需要予測を鉛筆を舐め操作し,無駄な道路建設をしつづけてきたのだから,見直しは当然だ.
が,本当に必要な道路づくりさえをも,その流れに気圧され,声を小さくする姿勢はいただけない.
30cm先もホワイトアウトする冬の北海道の道路とその中で生活する北海道人の苦労を,国の機関で知っているのは北海道開発局であるにも関わらず,そのような姿勢は20−30歳代のその職員の意気消沈を生んでいる.
歴史的に公共交通が切り捨てられてきた北海道のライフラインである道路・交通を,そもそも東京の空調の効いたホテルで論議し決定などさせてたまるものか,という気概を奮い起こしてもらいたいものだ.
こんな風潮のなかで,何とかこの国道393《赤井川道路》の開通は,地元の永年の運動で開通できた.
これで,国道5号線とフルーツ街道しかなかった後志が,より管内観光のネットワークを作れ,道路災害や救急医療などライフラインが確保できるようになった.
が,日本全国にある未開通道路は,その開通の目途に暗雲がたちこめている.
散々,景気浮揚のために無謀な公共事業を地域に押しつけ,財源で地方自治体が躊躇うと「起債」を認めるとまで言って無理強いしておいて,その起債償還期限など一顧だにせずいきなり財政再建を振りかざし地方交付税をカットし,スタートラインは凸凹でありながら「競争」を強要し,とってつけたように費用対効果概念を便利な言い訳に持ち出し「甘えないで苦労せよ」などと居丈高に言ってくる,本来連続性こそがすべてであった行政が責任放棄の行政となり,それに付和雷同するマスコミがお調子者のように言う,上からの「自助努力」などまっぴらごめんだ.
とりわけ北海道新幹線札幌延伸で,唯一の公共交通である在来線廃止を強要される後志エリアは,それに変わる交通ネットワークの整備強化を正々堂々主張するべきだし,要求する「権利」がある.
EU諸国の公共交通は,運営財源の半分が国,残る半分の又半分つまり四分の一が県,そして残る四分の一を自治体と交通会社が担えばいい.
そう,このEU諸国のシステムは,ナポレオン法典以来の国民の権利としての「交通権」が,今も脈々と生きている.
おそらく,明日のマスコミはこの《赤井川道路》開通で,着工から完成までかかった費用を持ちだし費用対効果をいい,マスコミの批判的立場の存在証明をそこで盛り込む記事を書くに決まっている.
「地域切り捨て」を「地域格差」などという生ぬるい表現しか出来ないマスコミ,がである.
富良野などに負けない,カルデラ地形が織りなすすばらしい景色と環境がある赤井川が,この国道393《赤井川道路》開通で文字通り後志と一体となる戦略ツールを得た.
この戦略ツールを如何に使うか,後志人に問われている.