スポンサーサイト
- 2017.07.26 Wednesday
一定期間更新がないため広告を表示しています
- -
- -
- -
友人の子供さんが高校登校拒否状態だという。
無責任のそしりをまぬがれえないと思うが、何も親が「登校拒否」状態そのものにあわてることない。
協調性や融和性などという評価する言葉に惑わされず、皆と同じ生き方などを躊躇する勇気がある、とみてやるべきではないか。
登校を躊躇う若者は、繊細かつ未来に対して傲慢なのであって、それこそが高校生の年頃なのである。
そもそも学校とはイヤなところではある。
中学時代はまだ牧歌的な残滓がある。
が、高校に入るととたんに規則づくめでむやみに威張る教師はいるし、人生論的な意見めいたことをいう教師がいて、右だろうが左だろうが兎に角「大人の気取り」が透けて見え、高校生の年頃の若者にはとてもイヤな時代ではある。
「小さな社会」たる学校で趣味も育ちも違う不特定多数との接触で精神がささくれ立っているのに、教師達の言葉の貧弱さと押しつけがましさと傲慢さに、まだ柔らかな皮膜しか備えていない脆弱な自意識が、無理矢理こすられてたやすくすり減っていくことに、うんざりする年頃であり、そもそも貧弱な知識と鋭い勘とを両方合い持つのが、高校生という年頃である。
校舎がどんな立派でも、焼けた熱いトタン屋根の上の猫のような心境で飛び跳ね耐えつつ、世の不条理に身もだえし、人生は思うに任せないと、無礼ではあるが小心という自らのねじれに苦しむのが、高校生の年頃なのだ。
登校拒否など何度でもすればいい。
その結果1年くらい留年しても何ほどのマイナスか。
18歳では、授業やクラブ活動やそして将来自分において、適正などわかるわけがない。
一度実社会にでて、世間に混じりその中で自分を相対化してみることこそ大事なのではないか、他者の目になって自分の深淵を覗みこみ、まだ大学で学問をしたければ行けばいい。
そもそも、親があってこその大人がいてこその、不良行為である。
高校時代、いわゆる青春など黙っていてもいつか通り過ぎていく・・のだ。