奴隷にされてしまった奴隷同士の会話では、互いに奴隷になった身を慰め合うので
はなく、主人の自慢話を競い、主人の良さを張り合うという。
それ以下の会話をこれはと思ってきた人から聞く・・切なさと寂しさしかない。
最近、わがエリアのとある会社に採用された知人がいる。
その会社を誇り、採用してくれた社長を誇るなら・・・まだいい。
が、会社組織に所属したことを背景にしてしか、自分の存在価値を表せない人にな
ってしまう、とは。
本人はそんな人になってしまったと思っていないところが、一層悲しい。
渦中にいるものはその滑稽さをわからない。
その一方で、血脈の存在価値が今も生きているとう出会いが最近あった。
ある町で、一番目立つ場所にある歴史的建造物が時代の役割を終え、数十年の風雪
に痛めつけられ倒壊する危険性もあり、その所有者が取り壊そうとした。
しかし、その歴史的建造物がそびえる場所はそのエリアで最も目立つ場所で、取り
壊されてしまうとそのエリアに散在する数十棟の歴史的建造物への影響も大で、何と
か修復し再生をと、その地域の人達や私なども加わり皆で奔走してきた。
現所有者は名家の末裔で、氏の所有する歴史的建造物への思いと私達の思いが合致、
理解を頂き、修復の手立てを模索する期間を与えられ、今回お国の公募事業申請で修
復をという段階にまでかこつけた。
その歴史的建造物の修復とエリアの発展を所有者も希求し、嬉しいことにうまく採
択されて修復がなったら、その歴史的建造物を町内会館に寄贈を検討すると表明して
くれた。
全く赤の他人同士が、互いの思いと、名家がその歴史をスタートさせた「場」への
脈々と続く血に裏打ちされた思いとプライドで、ここまで進む。
悲喜こもごも、ではある。