観光協会か、博物館かどちらかが発信するかと思ったがどちらもしないので、仕方がなく私が・・・・。
1990年(H2)に、小樽の歴史ある営業倉庫の最古である「旧・小樽倉庫」石造倉庫を小樽市が購入保存再活用し、2つに区分し、小樽観光物産プラザと小樽市立博物館(現・小樽市立博物館・運河館)として開業した。
それから、・・・20年を経た本年7月。
やっと今年、その小樽観光物産プラザと小樽市立博物館(現・運河館)とを2つに区分している石壁の「開かずの扉」が開放された。
運河プラザ側からも博物館・運河館側からも、人が行き来できるようになったのだ。
・・観光協会理事となり、当時の博物館館長と初めてその扉を開放して自由に行き来出来る方が互いに相乗効果がある、と話し合ってから三代の館長と10年が経っていた。
ここまでついにきた、その労たるやいかばかりか、と博物館・観光協会双方の歩み寄りに拍手したい。
運河プラザ側から扉を開けると、
広大な中庭が目前に広がる。
こんな立派な生け垣があり、運河プラザ中庭より開口部のドアや窓があり、鉄扉がいい具合に配置されているなど、初めて知った(^^)
旧・小樽倉庫の巨大さが、実際の姿として実感できる。
20年間の開かずの扉が・・・今年開いた。
一方は、博物館という教育施設、他方は、観光小樽の拠点・運河プラザ。
ここを、博物館側は有料だが、自由に行き来できる環境にしようと、互いに話し合いを持ちながら、ただただ時間だけが過ぎてきていた。
旧小樽倉庫の北半分を使う小樽市立博物館(現・運河館)側は、その一般入館入口が六車線臨港線側にあり、小樽倉庫の壮大な建物にしては目立たない小ささ
で、極めて来館誘導は弱かった。 小樽が誇る歴史的建造物でその入口の拡大改装は望めず、学芸員ら職員の様々な企画展を開催しても来場者数の減少を食い止
められず悩んでいた。
他方、旧小樽倉庫の南半分を使う運河プラザを運営する観光協会も、オープンしたときは周辺に観光施設がまだ少ない時代で、観光客でごった返し年
間百万人の来場者数を誇ったが、堺町通りの観光施設の展開と反対側の運河北地区に観光客を誘導する施設が配置されず、来場者数が減少していた。
マイナスとマイナスが互いに相互依存相互補完しあえばプラスになると、話し合いは諦めず継続されてきた。
時代はマスツーリズムからパーソナルなツーリズムに完全にシフトしていた。
そして物見遊山観光から、体験型・知識探求型観光に時代はシフトしたいた。
その時代のニーズに応え、両施設が隣接するという極めて優位な立地を活かせられる機会がきた。
宝の持ち腐れ状態からの脱却をすることが問われていた。