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    あと一息。 何回目かの一息ですが、とにかく一息。

    • 2009.10.24 Saturday
    • 11:00
    あと一息
     30年のつきあいの友人からメールが・・・。
     《 あと一息。何回目かの一息ですが、とにかく一息。 》
     
     小樽運河保存運動終焉以降、初めてのオール小樽の主体がそろい踏みした事業なのだから、とつんのめるようにやってきて。

     が、たまらんところがないではない。
     なにせ、商売抱えながらだから。
     とある事業の工事着工前のクリアせにゃならぬ最後の詰めの確認を関係者に送信し、それへの修正要請や修正指示のメールがどんどん来て、それへの対応に、首をひねり、仰向き、窓から空を見上げ、唸ってキーボードに向かう。

     と、九州の人吉市のご一行が御地名産・球磨焼酎の販促で我が町にこられ、その打ち上げ懇親会場をと電話が入れば、そんな大事なら閉店時間過ぎ開始と言われたって受けにゃ男がすたるし、それを聞き目を細めるスタッフに睨みを利かせにゃならんし(^^)
     そんな中、携帯メールで《呑みましょう、今、バスで札幌から向かってる》なんて、これまた大変ご贔屓と一緒に来られるなら、《 おお、来いやぁ 》と、返信している私がいて。

     1階ではビール、2階座敷は9種類の球磨焼酎、ビールと焼酎の往復(^^)


    球磨焼酎
     23時を回って皆様お帰りになられて。
     球磨焼酎の試飲のしまくりで、ふらつきながら女将に叱られ風呂と遅い晩飯を取り、女将に制止されながらもMacに向かって。
     ・・・キーボードの上に轟沈。
     
     そうだな、《 あと一息 》なんだわ。

    小樽博物館・運河館と開かずの扉

    • 2009.10.19 Monday
    • 00:01
     観光協会か、博物館かどちらかが発信するかと思ったがどちらもしないので、仕方がなく私が・・・・。

    運河プラザ側からの扉開口
     1990年(H2)に、小樽の歴史ある営業倉庫の最古である「旧・小樽倉庫」石造倉庫を小樽市が購入保存再活用し、2つに区分し、小樽観光物産プラザと小樽市立博物館(現・小樽市立博物館・運河館)として開業した。

     それから、・・・20年を経た本年7月。
     やっと今年、その小樽観光物産プラザと小樽市立博物館(現・運河館)とを2つに区分している石壁の「開かずの扉」が開放された。

     運河プラザ側からも博物館・運河館側からも、人が行き来できるようになったのだ。
     ・・観光協会理事となり、当時の博物館館長と初めてその扉を開放して自由に行き来出来る方が互いに相乗効果がある、と話し合ってから三代の館長と10年が経っていた。
     ここまでついにきた、その労たるやいかばかりか、と博物館・観光協会双方の歩み寄りに拍手したい。




    運河プラザと博物館の連結、中庭
     運河プラザ側から扉を開けると、
     広大な中庭が目前に広がる。
     こんな立派な生け垣があり、運河プラザ中庭より開口部のドアや窓があり、鉄扉がいい具合に配置されているなど、初めて知った(^^)
     旧・小樽倉庫の巨大さが、実際の姿として実感できる。

     20年間の開かずの扉が・・・今年開いた。

     一方は、博物館という教育施設、他方は、観光小樽の拠点・運河プラザ。
     ここを、博物館側は有料だが、自由に行き来できる環境にしようと、互いに話し合いを持ちながら、ただただ時間だけが過ぎてきていた。

      旧小樽倉庫の北半分を使う小樽市立博物館(現・運河館)側は、その一般入館入口が六車線臨港線側にあり、小樽倉庫の壮大な建物にしては目立たない小ささ で、極めて来館誘導は弱かった。 小樽が誇る歴史的建造物でその入口の拡大改装は望めず、学芸員ら職員の様々な企画展を開催しても来場者数の減少を食い止 められず悩んでいた。

     他方、旧小樽倉庫の南半分を使う運河プラザを運営する観光協会も、オープンしたときは周辺に観光施設がまだ少ない時代で、観光客でごった返し年 間百万人の来場者数を誇ったが、堺町通りの観光施設の展開と反対側の運河北地区に観光客を誘導する施設が配置されず、来場者数が減少していた。
     マイナスとマイナスが互いに相互依存相互補完しあえばプラスになると、話し合いは諦めず継続されてきた。

     時代はマスツーリズムからパーソナルなツーリズムに完全にシフトしていた。
     そして物見遊山観光から、体験型・知識探求型観光に時代はシフトしたいた。
     その時代のニーズに応え、両施設が隣接するという極めて優位な立地を活かせられる機会がきた。
     宝の持ち腐れ状態からの脱却をすることが問われていた。
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    Ivy Town Otaru 01

    • 2009.10.16 Friday
    • 21:53
    2009.10.16小樽の蔦紅葉
     いよいよ小樽のツタの紅葉が始まった。
     小樽市内のツタの紅葉を巡り歩くって、どうだろうか?
     このツタの紅葉の時期は、夏の観光トップシーズンも終わり、
     秋の収穫の様々な町村の稔りをを祝うイベントをほぼ終わり、
     街の中に戻ってきてもいい時期でもある。
     ただの変哲もない小路を、まあいいかと入っていくと、とんでもない紅葉に出くわす。
     そんな自分だけのツタの紅葉ポイントがあっていい。


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    一人静かに、秋の気を呼吸する、深思の時を大切にしたい

    • 2009.10.12 Monday
    • 22:14
    小樽運河プラザ中庭のツタの紅葉
     長崎はH市の観光協会事務局の面々が視察にこられた。
     が、小樽観光協会は会長以下事務局が小樽ー赤井川ー倶知安の国道393が開通して初めて試みるメープル街道393イベント出席で不在。
     で、ピンチヒッターとしてH市観光協会のヒアリングを、小樽運河プラザで受けた。
     折角の3連休、雨模様でお客様の出足がわるいが、いつの間にか喫茶前テーブルはお客様が足を休めている。

     ヒアリングが終わって、お帰りを見送る。
     運河プラザ三番庫で開催される「憧れの街・夢の街 小樽の街並みが語る歴史と未来」ギャラリー展を見て、
     一人、運河プラザの中庭に。

     石造倉庫の小樽軟石の壁を這いつたうツタが見事に紅葉していた。
     瓦と小樽軟石の石壁と鉄製扉という硬軟の無機の材、それに紅葉しながら息づく蔦が、いい。

     ・・・見わたしても、花のない、深い静かな時節。
     日々が遅滞なく進行しやすい、好機でもある、十月神無月。
     土に稔る作物に等しく、
     年の始めより心にかけた作業が、仕事が、
     形となり、色を増して姿を見せる、
     収穫の時をむかえる。

     もとより、事のすべてが唯一人で成就するものでない。
     されど、一人が動き、作意し、吟味しての豊穰にほかならぬ。
     やりとげた事、思いのみで至らなかった事、そして成すべき事。
     一人静かに、秋の気を呼吸する、深思の時を大切にしたい。

     ・・・という気分。
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    有朋自遠方來 不亦樂乎。

    • 2009.10.06 Tuesday
    • 11:28
    仲秋の名月
     ↑ 酔っぱらい蕎麦屋親爺が撮影の我が家の頭上の仲秋の名月。

     私も忙しい男だが、こいつにはかなわないという友人に訪れて頂いて、久しぶりに花園町のスナックに。
     いつも会議で遅くなり、私が花園町華街行く時間はスナックさえ閉店して遅くまでやっている居酒屋にしか行けないのだが、今回は普通の人が行く時間帯。
     有朋自遠方來 不亦樂乎だ、たまにスナックもいい。

     酒が進み、酔い、話題は、人に関して・・・(^^)
     人不知而不慍。不亦君子乎。 
     人知らずして慍(いきど)おらず、また君子ならずや・・・しかない。

     毒食わば皿まで・・的関係にたじろがず突き進む人と、その前でたじろぐ人といるのは仕方ない。 そういう私だって、理屈が通って法律に触れないことなら、何でもするし、してきたし、これからも。 そういう世界に入り込むことに喜びを感じる人とそうでない人がいることとのどうしようもない違いがいつの世もある。
     
     お前にとっての未来ってなんなんだ、と数年前あぶらののってきた世代に聞き、
      「そういう質問って、本当に迷惑なんです。」
    と返答が返ってきてから、もう聞いてもしょうがない、と。
     明日が見えなくなってしまった時代になってしまった今、大人になりかかっている世代の心持ちはこうなってしまっている。

     いかに幸せ(?)に、いかに平和に暮らすのかだけしかない。
     お年寄りには明日はない、今日一日をなんとか最高に生きようとするお年寄りの感覚と似ている。
     まあ、総老人化時代ともいおうか。
     
     そういう時代、人は動かざるをえなくなることを、このような考えの世代はわからない。
     明日に名状しがたい不安を抱え覚えるとき、人は必ず動き出す。
     我々の高校時代、ヨーロッパ中世の時代は停滞の時代だったと習ったが、その中世に生きる人々はもっとも動き回り近代を引き寄せていった。
     今もそう。
     だから本当のコミュニケーション・観光・都市の時代に入っているとういうのに。

     その遠来の友人にプレゼント。
     先日別の友人が「いい曲だ」と教えてくれた曲。
     ジプシーキングス・インスピレーション

    鬼平犯科帳エンディング
     ご存じ鬼平犯科帳のエンディングテーマ。
     蕎麦屋のシーンが良く出てくるからではなく、・・・池波正太郎はいい。
     


    潦倒新停濁酒杯

    • 2009.10.01 Thursday
    • 12:46
    ツタ紅葉 長月が終わり霜月を迎え、61歳に。
     弊店の蔦も紅葉が例年より早い。

     登高 杜甫

     風急天高猿嘯哀    風急に天高うして猿嘯哀し
     渚清沙白鳥飛廻    渚清く沙白うして鳥飛び廻めぐる
     無邊落木蕭蕭下    無辺の落木蕭々として下り
     不盡長江滾滾來    不尽の長江滾々として来る
     萬里悲秋常作客    万里悲秋常に客と作なり
     百年多病獨登臺    百年多病独り台に登る
     艱難苦恨繁霜鬢    艱難苦恨む繁霜の鬢
     潦倒新停濁酒杯    潦倒新に停む濁酒の杯

     最後の二句はまるで私だ。

     PS:
     夜、嬉しいニュースが飛び込んで来て、忘れられない誕生日となった。

     江戸期の港と町並みが一体で残り、アニメ映画「崖(がけ)の上のポニョ」の舞台として全国的な注目を集めた景勝地「鞆(とも)の浦」(広島県福山市)の道路架橋建設差し止め訴訟で、工事差し止めを求め20数年闘ってきた原告・鞆まちづくり工房の松居さんたちが勝利した。

    鞆の浦

     白い部分が道路建設予定地。
     判決はまず、鞆の浦の景観は住民らの利益にとどまらず、瀬戸内海の美観を構成し、文化的・歴史的価値をもつ「国民の財産ともいうべき公益」と指摘し、法的 保護の対象になると判断。瀬戸内海の環境保全を趣旨とする「瀬戸内法」によっても公益として保護されていると述べ、景観を侵害する政策判断は慎重になされ るべきだとした。
     そのうえで、行政側が実施しようとしている道路や駐車場の整備などの事業に必要性や公共性があることは認めつつ、景観保全を犠牲にしてまでの必要性があるかどうかについては「大きな疑問が残る」とした。
     さらに、事業が完成した後に景観を復元することは不可能で、事業自体の調査・検討も不十分として、 埋め立てを認めることは知事の裁量権を超えており差し止めの対象になるとの結論を導いた。
     県知事は昨年6月、埋め立て免許の交付に必要な国土交通相認可を申請した。金子一義・前国交相は「住民同意ではなく、国民同意が必要」として認可に慎重な姿勢を示し、手続きは事実上停止していた。

     小樽で開催の全国町並みゼミでも、松居さんたちが来樽され、切々と訴えておられた。
     小樽運河保存運動が11年、鞆の浦は26年、運動年数でも倍以上、でも小樽の何十倍もの苦労の末の結果だ。
     「地域で生き続ける」こと自身が、闘いだったはずだ。

     「艱難苦恨繁霜鬢」ではあるが、まずは今夜は素直に喜びたい。

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