あきれ果て耳を覆っていた5月が終わった。
月が明け、小鳩政権は去った。
結局、その最大の理由は、
政権交代の大義を見失ったからだ。
国民は昨年投票するときから知っていた。
戦後の自民党保守政権で溜まりに溜まった膿と澱なのだから、8ヶ月そこらで一掃出来るわけなどない、と。
戦後半世紀を経ての初めての政権交代なのだから、試行錯誤があるのは当然といば当然で、それを誤魔化す弁明などせず、
試行錯誤を正直に認め、その誤りを自己修正できるのかこそが、信頼できる政権担当能力有無の評価に結びつく・・・のにである。
それを着実やっていくためには、国民にその困難性をしっかり説明し、その困難性をどう克服していくのかのプロセスこそ、明確に丁寧にしていくことなのに。
然るに・・・である。
自民党政治の本質な否定のうえに新たな政治の仕組みを打ち立てることが問われていたのに、国民の目にさらされた民主党の8ヶ月は、半世紀の間に築いてきた自民党の権力構造を、民主党が
、ただ簒奪しようとする剥き出しの姿だった。
予算編成、政治資金、そして
政治主導と言う名の猟官運動、ブローカーまがいで地域に大損害をかけた男を長官ポストにつけるようなコネ人事を見せつけられた。
とりわけ、自民党はもう少しスマートだったろうと思わせる程の、露骨な利益誘導による自民党支持組織切り崩しなどをみせつけられると、
一体何のための政権交代だったのかと、情けななくなり、耳を覆いたくなっていた。
民主党に残された道は、8ヶ月の自らの誤りを認め、政策と政権運営に関する軌道修正を国民に示すこと、それしかない。
まだ、昨年の政権交代を求めた
民意は生きている
。 民意を受けとめられなくなってしまったにも拘わらず「自分の声を聞いて貰えなくなった」などと、お坊ちゃま的転化をするから、聞きたくなくなるだけなのだ。
民意こそを受け止め、政治の刷新の「実」を挙げることが出来ないとき、国民は民主党にノンどころか、「政党政治」にノンを突きつける恐ろしい時代に突入する。
さてそんな民主党政権の危機になど馬耳東風と洞ヶ峠を決め込み、ウェブサイトで楽しんでいる
一人の長官がいる。
そう、
「溝畑観光庁長官」だ!
もう、名前すら書きたくなく、正規に書くと認めてしまいそうなので以下カギ括弧付き、
「溝」と略する。