書かぬ文字
言わぬ言葉も
相知れど
いかがすべしぞ
住む世隔たる
・・・与謝野晶子
何百年と豊かな恵みを与えてくれた海が逆立ち,海と陸とを結ぶ船が陸上に持ち上げられ家々を大津波と一緒になって襲いかかり,火焔に包み,がれきの山とさせた.
何世代もの土壌作りで豊かな農産物を育んだ大地は,今後幾世代もが手をつけられない毒に汚染されようとしている..
我が子のように可愛がり育てて来た牛が生み出す乳をそのまま下水に捨て流さねばならない,そんな毒をもられた空気をこれからいつまで吸わさせられるのか.
数代,数十代の営みで町を形作ってきた愛着と思いの積み重なった家々や店々,そして家並みを捨て去り,町を去らねばならない苦渋.
何を語ればいいのかと唸り,書き連ねては,Deleteキーを押す日々だった。
TVに流れるあまりの大自然の脅威を前に、
瓦礫の地に頽れて慟哭する人々の姿に、
瓦礫の下に親と連れ合いと子供の遺体があるのに手をあわせるだけしか出来ない姿に、
想像を絶する極限状態の悲劇が何十万と起きていることに、
想定外と、口にする輩の言葉の軽さと虚ろさに、
逆に、被災地の人々の口から発せられる言葉の重さと切なさと輝きに、
そして、マスメディアとソーシャルメディアの玉石混合の情報に振り回される人々に、
さらに、次々に露呈する後追い的な東電・原子力安全保安院・官房長官の発表に、
言葉が追いつかない・・・と思い知らされる日々だった。
悲惨な,あまりにも悲惨な被災地の姿、そして被害が拡大し首都圏にまで至る事態。
無自覚にむさぼり、使い、浪費のためにさんざん利用してきたあの原発が、いま、まさにのたうっている。
私たちは,ただ立ちすくんでいる。
3.11まで、多くの人は東南海大地震には大きな関心と不安を抱いてはいた。
が,中部電力の浜岡原発群がその想定震源域の真っ只中にあるという恐るべき事実を、そしてそこに今回のような事態が生じれば、東京都民や横浜市民への被害をどれほどの人が知っているだろうか.
福井県の高速増殖炉もんじゅが燃料棒交換装置の落下という訓練もせずに事故り、再開は勿論廃炉にも出来ない「生殺し状態」にあるのを知っているだろるか?
2兆2000億円の巨費を投じた再処理工場が稼働するかどうかは、高レベル放射性廃液のガラス固化が成功するかどうかだったが、
青森・六ヶ所村の核燃料再処理工場ガラス溶融炉事故
で,これも「生殺し状態」であることを知っているだろうか?
そして200キロ離れた福島原発が一度事故を起こしたら、首都圏まで被災地になることを今やおもい知らされている。
われわれは,まるで原発など存在していないかのように毎日を過ごしてきた。
しかし、あまりの事態に平常心を失ってか、facebookやツィッターでは,
「こんなときは節電しなければならない。わが町でも歴史的建造物の夜間ライトアップを止めるべき」
などと表明することで,何かしら「語った」気になっている人たちがいる。
日本では静岡県の富士川と新潟県の糸魚川付近を境にして東側は50Hz、西側は60Hzの電気であり,中部電力が能力いっぱいの100万キロワットしか東電には送電出来ず、北海道電力も60万キロワットしか東北電力に送電できない事情は、常々以前の地震災害時にも報道されていた。
にもかかわらず,「自粛、不謹慎」空気汚染に感染し、突然節電運動をよびかける。
それを善意としか疑わないこと自身が、薄気味悪く恐ろしい。
東日本全体が被災した今だからこそ、大いに観光誘致を今まで以上に積極的に展開し、せめて北海道に賑わいをつくり経済を回し元気になり、それでもって被災地支援こそを押し進めるべきとは、思考が至らない。
節電を訴えるくらいなら、電力の東・西日本グリッドの完全接続要求運動をしていただきたい。
節電を訴えるくらいなら、放射線汚染基準値を越え返品されて山のように積まれ呆然自失の福島県と近隣県の農家のため,声かけ合ってその返品野菜や出荷停止野菜の協同購入運動をやるべきではないか?
本来の節電の話ではない.
今やこの自粛・不謹慎空気汚染でわが町のストリートは闇に包まれる.
逆に,歴史的建造物をライトアップし,街を明るくし,東日本の被災地のために自らの地域を賑やかに元気にすること抜きに,東日本に支援をする体力はつけられない.
明るく元気な街にこそ,避難者を招き元気にしてあげないでどうするのか.
被災しなかった私たちの役割は、玉石混合のマスメディアやソーシャルメディアから最も真実を語るものを見つけ、自ら判断し、かつ絶対目をそらすまいとすることだ。
地べたを這って生きて来たものは、始末の悪い無意識の自己満足より、実効性あることから始めたい。
幸い自粛や不謹慎空気汚染されないで弊店にご来店頂くお客様には、お帰りに義援金を募集している。そして、皆さんに今年の歓送迎会と花見では、東北関東各県の地酒こそを宴で飲もうと呼びかけ、自らの店でもラインアップを今進めている。
その方が,観念的で突発的な自己満足節電運動より、よほど被災地の人々に喜ばれる.
結局、マスメディアやソーシャルメディアに踊らされる。
要はマスメディアやソーシャルメディアは、受け手側にスキルが要求される。
例えば、「風評被害」とマスコミはいう.
いぃや違う,「東電被害,原発被害、原発行政被害、非常事態司令部不在被害」だろうが、とTVに向かって叫んでいる。
買いだめや買い控えは、東電・原発行政機関の情報隠蔽や政府・御用学者の不安や不信を煽るだけの、意味のない安全安心発表に起因している。
東電経営陣の機能不全は目に余る.
経営トップに原発の専門家はいなく,形だけ謝るだけはかろうじてできるだけ,
メーカーを顎で使い「なんとかしろ」と丸投げして来たことを露呈した.
非常事態で2週間目で疲労も極限まできていたろうが、だからこそ補修作業をする現場職員の安全性をトップは万全を期して陣頭指揮すべきだった。
だが、作業前のルーチンワークの放射線チェックもせず、万が一の長靴も履かせず、結果作業員三人を被爆させ、あろうことか記者会見で副社長は被爆量を求めても口を濁し、この期に及んでも「3.9×10の6乗ベクレル」と答え、記者に追求され通常の1万倍だった、と白状せざるをえなかった。
これが、安全安心を謳った東電経営陣の本質だった。
経産省は原発推進「省」であり,原発事故への非常事態「省」ではなく、その下部組織・原子力安全・保安院はただの天下り機関で、原発の基礎知識を持っておらず最近まで特許庁勤務だった職員が会見担当をしていたという.
膨大な原発推進予算から多額の研究費を助成されてきた御用学者のTV解説も,これほど虚しく聞こえるものはない.
そして、非常事態に対処する総司令部不在を政府は露呈する。
我が国には原発事故に備えた「SPEEDI」(放射性物質の広がりを気象条件などを加味してリアルタイム予測できる緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)があり、そのデータの公開が求められながら、原子力安全・保安院も文科省も、記者会見で「SPEEDI」のデータ公開を拒否する暴挙にでた。
案の定、その翌日福島の「葉もの野菜」に暫定値を越える放射能汚染が現実化し、出荷制限どころか摂取制限、そして首都圏での水道水汚染と拡大し、やっと「SPEEDI」データ公開に追いやられるという、大失態を演じる。
刻々と変わる事態を正確に伝え、
今の条件下で生ずる最悪の事態とこれへの打つべき対策を公表し、
それらから生ずる被災地の人々の対処法を明示する・・・ことはなかった。
先ずは包み隠さず、隠蔽しないことが非常時の鉄則であるのに。
対策が成功していれば成功している、失敗したら失敗したと事実を明らかにし、次の対策、対処法を明示する・・ことをしなかった。
それなくしての「安全・安心」などありようがないにも関わらず、信頼はそこからしか生まれないのに、不信を一層拡大した。
スリーマイル島原発事故も、チェルノブイリ原発事故も、地震自身とは無関係だった。
そして福島原発は?
原発の大事故は、必ずしも強烈な地震動のとてつもない 破壊力を必要としているわけではない。
福島原発が明らかにしたのは、緊急冷却関係施設の被害想定を経済性からサボタージュした、人間の仕業だった。
大津波に対しその押し寄せる海側に非常用電源の燃料タンクを配置するという、信じられない設計という人間の仕業だった。
北大の原子力関係の教授が
「1000年に一度に対処するにはコストアップが生ずるが、それをすべきかどうか自分は
判断できない」
と宣った。
正直さは、時にはグロテスクである。
「判断出来ない」など、福島原発から強制避難をさせられ、強制避難からも取り残され「勝手にしろ」と自主避難という名で放置される人々の前で、言ってみるべきだ。
その結果、今の段階で25兆円とも予想される国家的損失を産み、日本経済を未曾有の危機に落とし込んだのだ。
今も余震の恐怖の中、被災地で懸命に役割分担しかろうじて食料や燃料を自己調達し不足品は分け合いながら文字通り「災害ユートピア」を産み出し救援を待つ人々の前で、このように言えるだろうか?
又、何の詳細な説明もなく地域丸ごと近隣の体育館などの避難所に移動させられ、プライベートもなく耐え忍び、放射能被曝の危険性拡大で更に第2、第3の移動を強制される原発周辺被災者の人々の前で、このような言葉を言えるだろうか?
返品された山積みの、精魂込めて栽培した野菜の前で茫然自失の農業主にそう言えるだろうか?
3/23東電副社長は経営陣として初めて避難所を訪れ頭を下げ回ったが、怒りの発言は被災者からはなかった、と当初報道された。
が、実際TVでそのシーンを見たが、頭を下げる東電副社長の前での避難所の人々の恐ろしいまでの沈黙は、「怒り」を通り越したが故のどしようもない「憤怒」がそうさせたのではないか!
そして、原発に少しでも不安や疑念を持つものには、
「だったら、電力はどう確保するのか、経済活動をどうするのか」
と黙らせて来た、カネと情報操作でなりたつ産官学一体の恫喝的論調は、その論拠を完璧に失った。
福島原発が留まることなくドミノ倒しで非常事態に入って行く中で、ドイツの全電力に占める非原発電力が50%を越えたという報道は、政府のエネルギー政策で脱原発は可能性があることを、あらためて示した。
被災地で生死を掛けた戦いをくろ広げてる被災者と支援者も含め、国民一人一人が我がこととしてそれを真っ正面から考える時代を迎えた。
批判と責任を躊躇う時代は、終わりをつげた。
批判と責任を押しつぶす時代は、終わりをつげた。
が,
「今、責任問題を云々する時期ではないでしょう」
「今は、建設的な話をしよう」
と、したり顔でものいう輩が徘徊し、空気を淀ませている。
3.11震災で直接の被害に遭わなかった人々こそが、彼ら被災者にかわり鋭く物申さねばならない。
我々には、正当に怖がる権利がある。
真実を知らせろ。
真実をかたらせろ。
と。
↑ ・・・東日本大震災被災地の避難所で、停電が続く夜、灯油ストーブの灯りで読書する少年(北海道新聞)。
大地震と大津波から奇跡的に助かったのだから、今はただただ精一杯本を読んでくれ,と。