私はビートたけしは大嫌いだ。
が、たまたまチャンネルを変えたとき、画面の彼の言い放った言葉。
「毎日被災の死者・行方不明者の数が、数字で発表される。
が、なんか違うだろう。
『2万人の死』ではなく、『一人ひとりの死』が2万もあるんだろう」
の言葉だけは、全くその通りだと思う。
美しくのどかだった自然が、突然隠し持った凶暴さをあらわにして人間に襲いかかり、大切な人を失う。
その大切な人の死は、決して「何万分の一の死」ではなく、「ただ1人の死」が何万もある。
そして、今のたうち苦悶する原発。
次々に局面の変わる悪夢のような現実に翻弄されるうちに、3.11以前のことが随分遠くなってしまった。
私どもの世代にとっては、単なるドイツの高級スポーツカーの型番でしかなかった数字「9.11」で21世紀が明けた。
そして、「3.11」で社会のありようを根底から作り直さねばらならない、そんな時代を迎えた。
が、被災した人々の壮絶な体験の前では、どんな言葉も
さかしらでしかない。
この、想像を絶する極限状況の悲劇が、あらゆる形で同時に何十万という数で起こった。
この巨大な現実の展開に言葉が追いつかない。
それでも追いかけるしかない。
かろうじて自分が言えることは何か。
聞いてくれる相手が聞き飽きるまで、この想像を絶する極限状況の悲劇を話し紡がねばならないと思いこもうとしている。