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    住んで良し訪れて良しの観光まちづくりと「カジノ誘致」

    • 2012.05.21 Monday
    • 12:33



     私は常日頃、この「北海道大学観光学高等研究センター長」・石森秀三先生を尊敬している。 
     この先生が「カジノ誘致」をと北海道新聞で言っていると聞き、その画像データをもらった。 
     石森教授がそう言ったということで元気づく方々もおられるようだが、読んでみれば「前提」が全然違う。
     とりわけ、「小さな町の人々」が「即効性のある経済効果」などを理由に、それを誘致しようとする動きに対しては、石森先生は「違う」といっておられる。

     しかし、これまで道内の「カジノ誘致」を叫ぶ人たちは、即効性ある経済効果やら雇用拡大を唱い文句にしておられる。
     が、何度「即効性経済効果や雇用拡大」を唱い文句に失敗を積み重ねてきたのか、いつになれば気がつくのか、と呆然となる。
     百歩譲ってわが町が、カジノも含めた「一大複合リゾート都市にするという観光まちづくり戦略」論議は、これまでのところ一ミリもない。
     小樽市基本計画にも、小樽市観光基本計画にもその言葉を見つけられない。
     一体、「自分たちの住む町をどこに持って行こうとするのか」という大前提がないまま、口当たりのいい経済即効性や雇用促進に加え、都合良く新たにリゾートなどという言葉を持ち出し、誘致根拠にされるのか気が知れない。
     カジノ誘致を叫ぶ人々の
     「わが町の持続発展可能な観光まちづくり戦略
    を、一度も聞いたことがないのだから。

     韓国の済州島のカジノに視察にいった友人のカメラデータを見せてもらった。
     カジノの外観の綺麗さ、施設内部の華やかさ。
     それと同時に、カジノ施設の周辺の薄暗闇の中にスッテンテンに掏られて目も落ちくぼみぎらつかせ、ヘタリ座っている人々の姿。
     そのしゃがみ込んでいる人間の抜け殻のような人の周りを、いかにもという市中金融の連中が、膨大な金利の金貸しをし回っている姿。
     私は道徳家でもなんでもない。
     でも健全な賭博などありえないとわかっている。 
     あらゆる創意工夫(?)でアンダーグラウンドの連中は、公的管理であれなんであれ、網の目をくぐり人間の弱さを突き貪り取る。 
     そういう連中の吹きだまりの町にしようというのだろうか?

     昭和25年、最高裁大法廷判決は、「と博」を罪とする理由をこう述べている。
     「国民をして怠惰浪費の弊害を生ぜしめ、健康で文化的な社会の基盤をなす勤労の美風を害する。 甚だしきは暴行、脅迫、殺傷、強窃盗その他の副次的犯罪を誘発し、又は国民経済の機能に重大な障害を与えるおそれがある

     経済界こそ「持続発展可能な観光まちづくり戦略」を真っ正面から考えるべきではないだろうか?
     小樽ではこの石森先生の「一大複合リゾート都市観光戦略」構想としてカジノ誘致が言われてきたことはない。
     そもそも「カジノ誘致」運動を本籍にするところから言われてくることの奇異さはどうやってもなじめない。
     
     小樽では「一大複合リゾート都市観光戦略」構想がどのような内容で展開されるのか?
     その中でMICEなどをどう小樽観光戦略に組み込むのか?
     そもそも小樽という街が、「リゾート」型観光都市に適した街なのか、
     それを展望できる可能性があるのか、
    という本質的論議すら出来ていない。

     おそらくこの石森北海道大学観光学高等研究センター長の新聞記事を読み、小樽を「一大複合リゾート観光都市」に、その中にカジノをと言い始めるに違いない。 

     「住んで良し、訪れて良し」の観光まちづくりの王道・原則の道を行くのか、彼らの道をいくのか。
     前者の道をいくよりない。

     


    【産業観光】あの黒田清隆は、あの榎本武揚は、土木技術者田辺朔郎は、北海道空知の産炭地からどんな日本を夢見たか、その1

    • 2011.11.06 Sunday
    • 20:07
    JUGEMテーマ:観光まちづくり

    幌内炭鉱遺構で拾った石炭

     ↑は、北海道・空知(そらち)・幌内炭鉱遺構視察ツアーで、幌内炭鉱遺構巡りの途中で拾った幌内炭。
     握り拳大だが、同じサイズの石ころより格段に軽く、鈍く光る。
     軽い石炭こそが「熱量が高く、いい石炭だ」と子供の頃親に教えられた。
     「九州の石炭の倍の熱カロリーがあるんだ、薪など使わず新聞紙だけで火がつく」
    と自慢?し、ストーブが真っ赤になるほど石炭をくべ燃やす父の姿を思い出す。
     幌内炭鉱遺構巡りコースの路上に沢山落ちている。
     その幌内炭をガイドさんに許可を得て(^^)持ち帰り、札幌での産業観光フォーラムの「鼎談」で、得意満面に披露させて頂いた。

    産業観光フォーラム参加の皆さん_500

     ↑ 鼎談者ばかりが参加者に撮される、(^^)
     それはおもろうないと、私の方からフラッシュをたかないでそれとなく参加者の皆さんをパチリ(^^)

     ま、石炭など見たことない若い参加者の皆さんに参考のためにと幌内炭を披露し、おまけにツアー成果物とエバリたかっただけなのに、参加者の爆笑を誘い思わぬ効果でツカミは成功(^^)。

     さて、その空知・炭鉱遺構の視察ツアーである。


    奔別立坑02_500

     本年7月から始まった、
     炭鉄港2011
     ー 北海道産業の基礎をつくった炭坑・鉄道・港湾、略して「炭鉄港」3拠点(空知・室蘭・小樽)を繋ぎ結ぶ連続「産業観光まちづくり」事業 ー
    のクロージング・セミナーで、空知・幌内(現三笠市)炭坑遺構見学ツアーに行って来た。

     セミナーの前に、早いグループは早朝午前六時結集し、
     空知のまちづくり仲間は室蘭に、
     室蘭のまちづくり仲間は小樽に、
     そして小樽・後志のまちづくり仲間は空知に、
    とバスで視察に向かい、視察先のまちづくり仲間の案内で産業観光施設を視察するという文字通り《現場を知らんで語ることなかれ》を実践する最高の視察ツアーだ。 
     それも《お互い》に訪問し合い、産業観光現場で交流し合い、夕方、空知・室蘭・小樽の三コース参加の全員が札幌で一同に会し、締めくくりフォーラム&交流会を開催するという、実に《現場主義》実践・貫徹の企画だ。
     有名な先生を本州から招き講演を拝聴するという、ともすると頭でっかちな知識を得ても「知恵は?」と唸らざるを得ないシンポジウムが、実にまかり通っている。
     が、自らのエリアの、身近な市や町や村で蠢く《現場》を知り尽くした地域人同士が集い、他のエリアを訪れその地域人と繋がりを築き、全員揃って互いのエリアの「次を展望しよう」という試みが、たまらなくいい。
     後志の広域観光を展開するべく生み出し推進してきた《しりべしiネット》の原点もそうだったハズじゃないのか、と自問させられる企画だ。
     
     実は、しつこい風邪で肺炎になりかかり10日間も伏しての病み上がりで、険しい山間部や沢地を歩く炭坑遺構巡りは、全く自信がなかった。
     そうでなくても、20有余年を誇る立派な椎間板ヘルニア所有者なのだから。(^^)
     が、「NPO法人・炭坑(やま)の記憶推進事業団」理事長・吉岡宏高氏から数年越しで「一度、是非幌内にと」お声掛け頂きながら仲々実行できず、もう今回のチャンスを逃しては絶交されるという強迫観念(^^)に囚われ、行って来た。

     その一方で、この3.11FUKUSHIMAから身体の奥底に居座るシコリに、実は滅入り放しの七ヶ月だった。
     FUKUSHIMAや被災地では、営々とまちづくりを担いこれまで頑張ってこられた方々が当然おられる。 その方々が今は目に見えない人類始まって以来生活圏には存在しなかった「放射能」というもののために避難を強制され、自らの町での新たに気を取り直したまちづくりをしようにも出来ない状況におかれている。
     30有余年をかけ展開されてきた観光まちづくりが突然遮断されてしまうような、切なさを私は想像できない。

     しかし、3.11FUKUSHIMA以降、観光を司るこの国の機関・観光庁は一体何をしてきたのかとバスの車窓に流れる深秋の景色をぼんやり見ながら独りごちていた。

     3.11から一ヶ月が過ぎた頃、観光庁は全国の観光自治体や観光協会に「地域でしっかり予定された、もしくは新観光イベントを展開せよ」とする、しかしそこに観光庁自身は何をやるのかは全く皆無の前代未聞の観光庁長官名文書を発し、私はそのコピーを即ゴミ箱に捨てたものだった。

     そして、観光庁のやったことは、潤沢な税金を湯水のように使い「外国人訪日観光」誘致キャンペーンCFを製作し海外の空港などで流したわけだった。
     が、しかしこのタレント「嵐」を起用し「招き猫」をモチーフにしたCFは、日本人にはナントか理解できても海外ではそもそも何を意味するのか全く通用しない、身勝手で勘違いなCFで逆に外国の報道から鋭い批判を浴びる体たらくだった。
     かと思ったらまだ懲りず猛省せず、今度は体験発表を条件に交通費無料をエサに1万人の海外訪日客誘致をやるという、あまりにも「災害便乗型ビジネス展開」でしかない。
     観光庁長官の取り巻きスタッフは今や大手エージェンシー出向者に総入れ替えされてしまったかと思わせる、体たらくだ。

     そして、わが北海道もそうだ。
     北海道庁は、食と観光の北海道戦略や「移住推進・短長期スティ」を掲げてきた。  
     にも拘わらず、3.11FUKUSHIMAが勃発すると「北海道は安全です」とウェブサイトトップページに掲げ、「被災地は危ない」と暗に言う無神経極まりない品性のなさを露骨にさらけ出したものだった。
     全道の市町村自治体に被災地からの避難者受け容れ指示もせず、ただNPOなど市民運動展開に任せ国の被災者支援メニューを仲介するだけで、形だけの北海道庁の姿勢は一体何なのかと唸る。

     ああ、それに比べ明治人の凄さよ。
     あの北海道開拓使長官・黒田清隆や北垣国道や幌内鉄道建設を叫んだ榎本武揚は、そしてその意を受け幌内鉄道敷設を完成させた土木技術者・田辺朔郎たちは、北海道空知の産炭地や小樽・室蘭の港から、どんな近代日本を夢見たのか!
     北海道の、この国の産業の基礎構築こそを彼等は夢見たのだ。

     それに比するのも恥ずかしい、この国とこの道だ。

     北海道空知(そらち)の幌内(現・三笠市)に向かう車上はそんなこなを思い、自分が今まで語ってきたつもりの「産業観光」をナマで自己検証する旅でもあった。


     その旅のトドメが、上記の画像だった。
     幾春別(現・三笠市)の
    採炭深度1100メートルを誇った旧・住友奔別炭鉱立坑と、51メートルの高さを誇る立坑櫓の大構造体、超弩級の迫力の産業遺構だ。
     これが幾春別の町中商店街に入った途端、商店の屋根越しにもろに目に入る。
     写真で見てきたのとは、天地の差だ。
     ランドマークやアイデンティティなんてカタカナ言葉では軽すぎる。
     それが無くなったら空知・幾春別はないのだ、という「重さ」そのものの産業遺構だ。
     バスで近づく
    旧・住友奔別炭坑立坑のその「重さ」を、今まで知らずして、これを今まで見もせずして、産業観光だ、産業遺産観光だ、知的体験観光だなどと言って来た自分の「軽さ」を恥じ入る。
     さらに、近づいて行く。
     思わず身体を仰け反らせるくらい・・・圧倒される。
     こんな巨大な炭鉱建築構造体の遺構!
     それが、今もなお現に幾春別に、凛として存在している。


    奔別立坑02_500

     「お前達は、今原子力発電という未熟な科学技術と未熟なシステムで、処理も出来ない放射能廃棄物を悪無限的に作り出す、制御も出来ないエネルギー政策からの脱却に、やっと気がついたのか!」 
     「お前達北海道人の「お里」(アイデンティティ)は、ここ空知の炭鉱にこそある。
      それをもう一度捉まえ直せ!」
    と、睥睨してくる。

     この地上51mの立坑櫓と地下深度1100mまで巨大エレベータで掘削し採炭してきた技術が今の時代の超高層ビルの高速エレベーター技術に転用されているのだ、とガイド担当のNPO炭鉱の記憶推進事業団のスタッフがいう。
     唸る。
     
     更にこの立坑と広い空間を挟んで向かい側に・・・

    続きを読む >>

    北海道・士別の北海道自治体学会フォーラムに

    • 2011.10.31 Monday
    • 00:30
    JUGEMテーマ:観光まちづくり

    士別の朝霧500

     先日、長引く風邪の病み上がりで体調は最悪でしたが、北海道は上川の士別市に行ってきました。
     風邪で店にでていなかった蕎麦屋親爺が、治ったとなったら店を空けるのか、とスタッフの目線が鋭く背中に突き刺さる。(^^)
     小樽から電車を乗り継いで4時間半で、なんとか士別市に到着。
     秋晴れで空気が澄明。
     天塩川と剣淵川が合流する名寄盆地の南端、真っ平らな地形の向こうに緩やかな丘陵が連なり、空がどこまでも広い。
     士別は屯田兵制度最後となる兵村としてスタートし、農業の集散地と交通の要衝として発展し、今はビート精糖やサフォーク羊の牧畜に力を入れている。

     三年前、小樽市博物館で臨時職員として頑張り、昨年社会人採用で士別市博物館学芸員となったM氏から、士別で開催されるフォーラムのパネラーに来てくれと突然依頼が。
     小樽繋がりの若者がかわいがられている町で、そういう若者から頼まれれば、いやと言えなくて。

     お呼ばれしたのは、北海道自治体学会フォーラム。
     「まちづくりの主人公は誰か?」とし、サブテーマは
     「住民参加型まちづくりと行政参加型まちづくり」、
    ウゥゥム、・・・・なにかしら自治体職員の問題意識先行の感がある。
     おもわず、コーディネーターの先生に「行政参加型まちづくり」って最近言うのですか、と聞くと、先生も首を捻って。(^^)
     まちづくりにとって自治体職員は黒子役でいい、
     光らせスポットライトをあびるのは市民でなければ続かない、
    と言おうとしたら、パネラーのおひとりが先に語ってくれ、敢えて口にはせず。 
     北海道の町で自治体学会に参加する若くやる気まんまんの積極的な自治体職員は、黒子役だけでは満足できないというところか。

     基調講演は全国に名をはせる九州鹿児島県・鹿屋市柳谷地区の「やねだん」の牽引者・豊重哲郎氏の情熱こもったお話。
     まちづくり現場で永年汗を自らかかれてきた方の話は、本当にいい。

     触発されて、言ってしまった。
     確かにまちづくりは官民の連携抜きには考えられない、が「協働」とか「パートナーシップ型」などワークショップが大流行の昨今、パターン化し行政手続き化してきている。
     まちづくりという言葉もかなり汚れてきた感があるが、「協働」とか「パートナーシップ型」などワークショップ展開も、もう汚れてきていて少々気味悪い。 

     だとしたら、「協働」とか「パートナーシップ型」とかいう前に、
     ・徹底的に腹の底から行政と市民とが論議しあう「関係づくり」
     ・対立する意見をとことん出し合える「関係づくり」
    をどう築くのかこそ大事と想いたい。

     生きてる町だから、対立する意見・姿勢も論理的なものだけではない。
     一般的反行政感情も当然ある。
     地区毎に培われてきた歴史的感情蓄積もある。
     そもそも人間同士の好き嫌いだって当然ある。
     それをさらけ出してでも語りあう「苦労という名のプロセス」があってこそ、初めて本当に行政と市民がわくわく感動しあえる「」と「関係」が、成立するのではないか?

     当然そこでぶつかり立ち止まることもある。
     いや、私のまちづくり三十有余年でもぶつかり立ち止まる方が多い。
     が、生ぬるい中途半端なパートナーシップ型ワークショップで終わらせない「覚悟」が、どの町の行政・市民側の中心メンバーに問われている。

     こう書くと蕎麦屋親爺は、対立や諍いを目的化しているように捉まえる方がいる。
     で、アブナイ蕎麦屋親爺と謂われてしまう(^^)
     しかし、小樽のような十万ちょっとの人口の町も士別のような人口二万の町も、当然昼と夜がある。
     夜の世界は一緒に居酒屋のカウンターで肘が触れあう距離で話し合える。
     対立を面白がるマスコミ連中は、昼の表の対立しかみないでものを言うきらいがあるが、しかし、小さな町では昼の
    表の世界だけで生活しているわけではなく、夜の裏の世界があり、だからこそ対立が対立として「終われない」「終わらせられない」構造が、最初からある。
     であるのであれば、覚悟の「継続性」を保持していくのかとまちづくりリーダーには問われる。

     ある意味、まちづくりリーダーと対立する意見を表明してくれる人こそ、様々な壁を本質的に理解している。
     その当初反対意見を表明した人こそが、持続的関係づくりのなかで何かのきっかけで逆転しそれまでの意見を修正し、もっとも強力な戦力になってくれる、そんな関係構築ができる。
     それがまちづくりの「アヤ」だ。
     
     小樽の小樽運河保存運動の歴史でも、運河埋め立て道路推進側の経済界の重鎮がアメリカ西海岸の諸都市のウォーターフロント開発をその目で直に見て道路埋め立て見直し表明をし、小樽運河保存運動と共同歩調をとるという大逆転劇が現実にあり、そこまで行くのに十年の市民運動が要された。
     「やねだん」の豊重氏の活動でも、論理ではなく情緒で反対されていた地区の名士が、豊重さんが仕掛けた「両親への感謝のメッセージ」のラジオ番組で涙し、運動参加・合流のきっかけとなって強力な推進の力になったことが報告された。
     そうなるまで、豊重氏は諦めず自分が地べたの活動を覚悟をもって汗をかきやり続けてきたからこそ、その「合流」が可能となった。
     ではその「関係づくり」の手法は・・、士別の町の若い自治体職員こそがその失敗と成功の実践を通じて蓄積していかにゃならん。
     オーソライズされるノウハウなどないし、だからこそ日本に北海道にピカリと燻し銀に輝く個性ある町が生まれ続けてきた。
     「やねだん」の豊重哲郎氏は、それを現実にやりきったのではないか?

    と、言ったつもりだが、相変わらず要領を得ない語りをしてしまった。

     教室型に講師やパネラーが高い席に座り、参加者はそのご意見を拝聴するというシンポジウムやフォーラムの会場づくりは、どうもあずましくない。
     パネラーと参加者が同じ高さで、コーディネーターと講師とパネラーが丸くなって中心にい座り、その回りを地元の参加者が囲み、
    コーディネーターが参加者からの質問や意見が出やすい「車座」の会場づくりが、町のシンポジウムやフォーラムに合う。
     ましてや、立場や肩書きを抜きに語りあわねばならないのだから・・・

     
     翌朝、わざわざ見送りに来てくれたM氏がお気に入りの士別のポイントを案内してくれるという。
     士別の朝は、もうもうと沸き立つように流れる、家屋も丘も雑木林もすっぽり覆い尽くす朝霧の世界。
     町をすっぽり覆い尽くした朝霧のなか、市民が星空を見にいく丘に向かうのだそうな。
     刈ったあとの牧草地か、サフォーク羊の放牧地か、霞む濃い朝霧の幻想的な世界を進む。
     波打つ丘陵地の沢からもうもうと朝霧が沸き立つ。
     朝霧に煙る利休鼠の空と朝霧越しに輝くおおきな太陽とそして地平線・・、しかない。
     まあるい地平線のような丘の頂きが現れてはまた現れて、ひたすら登る。
     ・・・何か不思議な気分。

     奥底にこの七ヶ月居座るFUKUSHIMAのシコリとそれを抱える病み上がりの気だるい身体が、早朝の冷気でびりびり引き締まり 、周囲の利休鼠の空に澄明さが湛えられてはらわたの隅々まで染み入ってくる。
     脂肪のよどみや蛋白の濁りと居座るシコリが、登るごとに全身から雲散霧消していく気がしてくる。 

     時間がたちまち過ぎていく。
     後ろ髪を引かれながら駅に向かおうとすると、昇る太陽の熱に朝霧が負けはじめ広大な丘陵が恥ずかしそうに姿を現す。
     晴れた景色も当然素晴らしいのだろう。
     見たかったらまた来いや、といっている。

     士別の自然も、そして町でうごめく自治体職員の若者達の動きも、朝霧のスクリーンにスライドのように映し出されるような気がして、そんな世界を楽しませてもらった士別行でした。

    魔の法政大学2011社会調査実習!

    • 2011.09.13 Tuesday
    • 22:59
    JUGEMテーマ:観光まちづくり
      法政大学社会学部調査実習チームによるアシュラ

     今日午後7時、観光協会の全面的見直し作業チームの猛烈に濃い会議が終わって、各委員は次の会議に出払い、最高齢の私は解放されて帰宅し、やっとのんびりしてます。
     
     実は私、昨日は頑張りすぎてくたくた状態でした。

     3.11から半年、9.11から10年が明けた昨日は、法政大学社会学部堀川三郎教授以下六人の修士&学生さんによる「社会調査実習」が、今年も9/6から昨日まで6日間あり、その最終日ヒアリングの最終対象が、ナント蕎麦屋親爺なのでした(^^)
     小樽運河保存運動から今日までのわが小樽のまちづくりを対象として、1997年から15年間続く社会学的研究調査なのです。
     6日間、目一杯の数の対象者へのヒアリング、
     小樽の町並みの変遷の調査
    など雨が降ろうとやりきり、宿に帰っても解放されず、毎晩深夜までミーティングという地獄の日々を繰り広げるわけです。
     事前に徹底的な堀川教授とM助手の指導による打ち合わせをやりきり小樽に乗り込んでくるわけで、当方も生半可な応答は許されません。(^^)

     その点、事前調査・学習もせず、論文作成だと教授に指示され、実は教授のデータ収集のためにだけ小樽に「調査」に来、観光事業で忙殺される観光協会や市・観光振興室に来られ、資料の「提供は当然だ」という態度をする、叩きたくなるようなそんな大学の学生さん達に法政大の彼等の爪のアカを呑ませたい。

     法政大のこのチームの調査結果は分厚い報告書となってあとで送られきます。
     これまで頂いた報告集↓。

    法政大学社会学部調査実習報告書
     ・・・概して、国やコンサルタントの地域診断「報告書」などに登場する人間は、おおかた「Nobody=誰でもないヒト」や「Anybody=誰でもよいヒト」であって、「Somebody=誰かであるヒト」ではないのが実に多い。
     冗談じゃない、地域人は顔も名もある人達なのです。
     歴史的必然性や効率性にとらわれた者達が一方的にみる、マスでしかない地域人が実は面白真面目に仕事と遊びを共有し、涙し笑う、無駄の効用を享受する一人一人の人間なのです。
     そうした目で見ると、理論的で冷たい客観的数字の世界で「ひと塊」だった地域と地域人が、殺していた息吹を吹き返し、鮮やかに際だち色づくのです。

     法政大学の堀川研究室は、そんな調査実習をしてくれるわけです。

     止せばいいのに、前回の同大学社会学部調査で、私は、
     「都会の人間より、俺たち田舎の人間の方がよほど大人なんだわ。
      あのな、都会に住む人はさ、
      なんでも気が合う者同士だけでの付き合いしか、しないんじゃないかい?
      が、俺たち田舎人は、近隣と好き嫌いを超えたところで付き合っていかんと全
      てがうまく回らないし、生きていけないべゃ。
      そんな地域の生活を、
       『無駄なライフスタイル』だ、
       『地域社会に自由がない』だ、
      などと都会人は言ってくれたものだった。
      が、どうだい、今では無駄には効用が沢山あり、意味があることが判明したべゃ。
      大災害などのとき、どれだけその無駄と言われた近所付き合いが力を発揮したか。
      もう「地域社会からの自由」じゃなく「地域社会への自由」の時代だべ。
      俺たち田舎人こそが、はるかに都会人より大人で中身のある生活をしてきたんだべさ。」
    と、学生さん達に言ってしまったのです。(^^;)

     3.11とFUKUSHIMAを経て、自分の言ったこの言葉を、今年は自らこっそり噛みしめてヒアリングを受けました。
     昨日、午後7時から午前3時過ぎまで延々八時間ぶっ続けで、院生・学生さんと小樽まちづくりを語り合って。
     通称というか堀川研究室では、この蕎麦屋親爺のせいか、「魔の小樽調査」と呼ばれているらしい。 
     今年のチーム堀川六人衆は、蕎麦屋親爺の長い話に耐え抜き、ダウンすることなく最後まで鋭い質問をぶつけてこられて(^^)、私もたじたじで。

     冒頭の写真は、全てのヒアリングを終えた午前3時。
     例年は小樽運河でやる恒例のチーム全員による「アシュラ」(阿修羅像の真似)。

     それを、今年は煌々と輝く中秋の名月の下、小樽ニシン漁全盛時の三大網元の一人の旧白鳥家別宅(現・杉ノ目邸、元キャバレー現代跡)の玄関前でやってくれた、法政大社会学部堀川研究室の若者達の勇姿です(^^)
     EXILEのCHOO CHOO TRAINのイントロの振り付けも披露してくれて・・・
     ナマで「アシュラ」を見せてもらって、なぜ彼らが阿修羅の物まねをするのか、やっと解明できました。
     彼等学生さん達には、これから聴取不能の小樽弁の語り言葉の「魔のテープ起こし」があり、そして論文テーマ決定と資料と取っ組み合いの論文作成という作業がある。
     止めは、堀川教授と先輩M助手やF先輩らの総がかりの厳しい論文指導が待ち構えております。(^^)
     つまり、手も足も出ない程厳しい論文指導があるので、それで、今の内に小樽で「アシュラ」をやって、手足を精一杯伸ばし切って帰りたいという・・・願望の現れなのでしょう。(^^)

     さて、今年の「チーム堀川2011」はどんな論文を書ききるか!
     報告書が送ってこられるのが実に楽しみです。

    【関連記事】
     ・変化とコントロール、2009法政大学社会学部社会調査実習報告書

    情けない観光庁の訪日キャンペーンCF

    • 2011.08.23 Tuesday
    • 21:02
    JUGEMテーマ:観光まちづくり

     これが、ニューヨーク・タイムズスクエアをはじめ133カ国の海外の空港や観光施設で放映されている、この国の観光庁製作の日本PRのCFだそうだ。
     ・・・情けなさすぎる。

     日本観光のプレミアム・ディスティネーションを高める観光圏を全国に配置する「観光圏構想」が2年前打ち出され、全国の地域が応募し観光圏が選定された。
     しながら、予算は大削減され選定された地域は途方にくれた。
     その観光庁は、地方にカネがなくても知恵で頑張れと叱咤してくれたものだった。

     ところが、本家の観光庁が潤沢な税金を湯水のように使って「当のお目当ての外国人訪日観光」キャンペーンCFを製作し、海外の空港などで流している。
     しかし、それが外国の報道から鋭い批判を浴びている。
     どんなCFかとYUTUBEで調べたら、↑ だった。

     全く、「広告」というものへの無理解、言語という壁を越えて何を五感に訴え誘うのかというコンセプトがゼロのCFだ。
     
     ニューズウィーク日本語版編集部 VOICES コラム&ブログ 「フロム・ザ・ニュースルーム」で、2011.8.19に
     嵐の日本PRを外国人がメッタ切り
    というタイトルで批判を展開されてしまった。
     是非一読を。
     で、読んでみた。
     良く言ってくれたと拍手喝采したい。

     しかし、こんな体たらくでは困ったものだ。
 
     広告代理店に企画を出させて、選んだものだろう。
     が、企画を選ぶ側に能力がなければ、それなりのレベルにしか行かない。
     広告なるもの、あるいは日本なるものに対してコンセプトがない
     してみれば、千客万来、商売繁盛という「招き猫」をゆるキャラにし嵐や各地域の人々にそのゆるキャラポーズを取らせるというこのCFは、観光庁の、とりわけ観光庁長官の本音そのものをさらけ出し、それが不興を買っているわけだ。

     要は、「集客」すればいいというだけのプロモーター根性だけでは、人の心を動かし行動を喚起するいい広告はつくれない。
     それは同時に、いい政策も作れないということだ。

     恥ずかしいにもほどがある。
     招き猫を使った「ゆるキャラ」が、PRの表現として有効なのは日本国内だけということに、海外向けCFをつくる当の観光庁がそのことに全く気づいていない。
     ・・・情けなくて涙もでない。
     意見を具申しても通じない観光庁長官だとは聞いている。
     が、ここまで最悪だと、それはもう理由にならない。

     同じく、ニューズウィーク日本語版編集部 VOICES コラム&ブログ、「プリンストン発 新潮流アメリカに 2011.08.22
     「観光庁CFのミスは極めて初歩的だという理由
    で、冷泉彰彦氏が一文を掲載している。
     これも、是非一読を。
     
     あの2009年10月1日に、日本全国の観光関係者が一同に会し「観光庁の誕生」を祝った、あの期待と熱気が・・懐かしい。

     私がいう、「広告、CF」とは、↓ こういうものを言う。
     「観光庁長官・溝畑さん、今度は「嵐」ですか?」 2010.04.13 Tuesday
     
      紹介したニューズウィークの2つのコラムが表示されなくなったら困るので、いかに転載しておこう。


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    FUKUSHIMAとTOMARIの狭間で

    • 2011.07.19 Tuesday
    • 00:29
    第2のFUKUSHIMAを想像せよ

     FUKUSHIMAの現実。
     それは、原発所在地の人々の生き方そのものの、歴史的再起動を命がけですることを要求している。

     政府・経産省・東電・原発「専門家」等は、4ヶ月が経とうとしている現在、未だ被災地住民の「棄民」策のまま、打ち捨てたままである。

     地震と津波による2万数千人もの死者・行方不明者。

     同じく四ヶ月も避難所生活を強制される人々も未だ2万人、
     被災地と周辺住民あわせて15万人近い避難を余儀なくさせている。

     更に100億円以上も投下した緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI:スピーディ)データを即公表もせず漫画的な同心円避難地域設定発令で、避けられた放射線被曝被害を住民に負わせた。
     そして、FUKUSHIMAどころか都心までホットスポットが拡大しているのを放置している政府・原子力安全委員会・東電・「専門家」。
     県は単独ででも、後の裁判係争も含め腹を決めた独自対応をしないで、「政府は、国は?」と責任回避をしている。
     その意味では、被災地住民と周辺住民は国・経産相・東電と県との駆け引きの人質扱いと言っても過言でない。

     土壌・海洋・大気・雨の放射能汚染により九州から北海道まで広範囲に農産物・海産物・水・土を汚染させ、国内どころから海外にまで多大な悪影響を今ももたらしているFUKUSHIMA.

     その「安全と安心」を約束された原発立地自治体と住民は、この放射線被曝被害、放射能汚染被害という「放射能・核公害」にどう立ち向かえばいいのか? 

     政府は、3.11までは放射線被曝線量上限年間1ミリシーベルトという基準値をあろうことか20ミリシーベルトにかさ上げし、ついに福島県の児童が内部被爆したことが判明した。

     そして、
     海江田経産大臣は、六月一八日、
     (1)原発の中央制御室の作業環境の確保
     (2)停電時の原発構内での通信手段の確保
     (3)放射線管理のための体制整備
     (4)水素爆発の防止対策
     (5)がれき撤去の重機配備
    とする、たった5項目について「安全」が確認されたとし て、
    「定期点検中の原発の再稼働は可能」
    と玄海原発所在地の佐賀県知事と玄海町長に再稼働を要請 した。
     驚くべきことに、その根拠は「データ隠蔽」の代名詞と なった原子力安全・保安院の「安全判断」だという。
     そして、動物的延命勘の菅の、「ストレステスト」はあくまでもコンピュータ・シュミレーションに過ぎないし、その統一見解でもブレにブレている・・・。

     この5項目とストレステストは、どれもこれもすべて電力会社の「原発施設」に関するFUKUSHIMA後の対策でしかない。
     というか、今更ながらこのような基本的項目さえもが全く万全でなかったことを自己暴露している。

     原発関連工事を自社建築会社に七七億も受注させ私腹を 肥やす脱税疑惑町長と九電寄付まみれの県知事は、「稼働 OK」を出した(出そうとした)メンツが真っ向から潰さ れ、二人で政府を非難することで県民・町民・周辺住民無視の棄民行為を言い繕おうとしている。


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    泊原発がある後志(しりべし)の私たちは、どう生きるべきか? 

    • 2011.06.25 Saturday
    • 10:07
    泊原発500

     これまでこの北海道後志(しりべし)エリアで、広域観光に携わる者にとって一つのタブーがあった。
     それは、後志(しりべし)エリアでまちづくりや地域づくりで「泊原発」に係わる話は避けたほうがいいというものであった。
     とりわけ防災対策重点実施地域(EPZ)の4町村では、農業・漁業・商業・観光などの事業者であっても親類縁者に泊原発関連で勤務している人々が多く、反・脱原発的言辞を放つ人は避けられてしまう、と。
     平準化の論理とカラーリングが未だに生きているこの国では、それに慎重にならざるをえなかった。
     正直、私もその四町村に原発を押しつけ、電気を享受してきた負い目もあった。

     が、東日本大震災とFUKUSHIMAの未曾有の原子力放射能汚染災害が起こっては、もう原子力発電所問題は、イデオロギー論争を越え、防災対策重点実施地域(EPZ)である立地自治体の範囲を越え、日本全国に、そして近隣諸国は勿論各国に影響を与える、
     「数十年から100年スパンの直接生死に係わる問題
    となった。

     これまで「原発立地自治体」とは、原発が「所在」する自治体を指してきた。

     そして国の原発事故時における防災計画エリアは、原発所在地から半径10キロ圏の自治体が防災対策重点実施地域(EPZ)対象で、電力会社はその対象自治体とだけ「安全協定」を結んできた。
     が、3.11「災後」の今となっては、もはや通じない。
     国が定める原発所在地から半径10キロ圏の自治体が防災対策重点実施地域(EPZ)など、
     「施設外に放射線(放射能)が漏れないとする偽善=安全神話
    が、まかり通ってきた時代の産物でしかない。

     政府の発表した、漫画的ともいえる同心円状避難図とは全く裏腹に、強度の核汚染が「斑状」に生じ、100億円もの税金を投入したSPDIIデータを公表しなかったため避難者に無用の被爆を強制し、汚染水を垂れ流し農業・漁業の核汚染災害は100キロを越える広範囲に拡大しつづけ、その範囲は予想がつかいない。

     唯一の被爆国といってきたこの国が、自らの国土と世界を被爆させてしまった。

     つまり、FUKUSHIMAという災後にあきらかになったことは、
     「最低でも半径30〜50キロ圏内にある自治体が原発立地自治体
    になったということだ。



     もはや最低半径30〜50キロ圏の自治体は原発「周辺」自治体ではなくなった。
     これまでの原発立地自治体と同様、半径30〜50キロ圏の自治体は
     「原発事故と核汚染災害への覚悟
    を要求されることになった。

     道内で第二位の観光入り込み客数を誇り、地産地消や地域活性化そして農漁業ブランド生産や観光を誇ってきたわが後志エリアには、北海道電力・泊原子力発電所があり、半径40キロ圏内にこの後志の二〇市町村のほぼ大半が圏内になる。

    泊原発30キロ圏

     20キロ圏の自治体住民が、原発事故と核汚染災害時には、30〜40キロ圏の自治体に当然避難してくる。
     そして、60キロ圏には道内の人口の三分の一、180万人が生活し経済活動をする札幌市もはいる。
     泊原発が「TOMARI」となって一瞬の原発事故と核汚染災害に襲われると、その一瞬が上記エリアで100年スパンの長期的で深刻な打撃を受けることを、直視しなければならなくなったのである。

     そして、泊原発から80キロ圏の札幌市が原発凍結宣言をしプルサーマルにも反対し、余市町議会も同様宣言した。
     半径30キロ圏の9町村が原発立地自治体同様の防災エリアとしての「情報提供」=安全協定締結を求めて始めた。
     既存原発の安全性に関する全面的再検証が不可欠となったのだから。
     今回のFUKUSHIMAによって、もはや「安全神話」を前提にした北電と原発立地自治体の「周辺他町村無視」は通らなくなった。

     しかし、逆に原発立地自治体自身の動きは、極めて微温的と言わざるを得ない。
     全国原発所在市町村協議会は、3.11で
     「安全安心確保に万全を期すよう強く要望」
    したに過ぎない。
     立地自治体がいくら要請したとしても、電力会社や国からは、
     「一生懸命対処」
     「基準見直し強化」
     「万全対策強化」
     「訓練徹底」
     「福島原発と違うタイプ」
    と、精神論と「自己演出」しか返ってこない。

     立地自治体は、それ以上の実効的安全確保の手段を行使していない。
     各立地自治体の長も住民に対して「安全のために行動した」という演出をしているだけである。
     当然、このような「演出」では、住民や周辺市町村住民への自治体責任を果たしているとはいえない。

     現に、政府・経産省は、「定期点検中の原発再稼働」を原発立地自治体に要請をし始めた。
     
      
    2.
     「安全な原発との共存」という「神話」も、もう成立しない。

     そもそも、立地自治体は国と電力会社から完全に「足元」を見られている。
     原発が存在してる以上、立地自治体は安全か否かに無関係に
     「共存
    せざるを得ない。
     立地の前段階であれば、候補になった立地自治体は死力を尽くして「危険な原発」の立地に抵抗する余地があり、物取り要求もだせる。
     が、ひとたび立地を許してしまえば、否が応でも
     「共存」という名の「一蓮托生
    を強制されざるを得ない。
     原発反対運動や廃炉要求運動を展開しても、その成就する見込みが低い段階では原発は存在し続けるのだから。
     結局、完全か否かではなく、嘘でも「安全神話」にすがるよりないのが、今までだった。
     この立地自治体からの国や電力会社への「安全確保」への陳情は、たいして相手にされない。
     「安全神話」への希望的「信仰」は、今回のFUKUSHIMAが起きるまでは維持できた。
     が、災後の今依然として
     「相手にされない安全確保陳情」
    は「演出」でしかなく、立地自治体の長として住民生活に対する無責任さを示すショーになりはてた。
     立地自治体は根本的意識改革が問われる。

    3.
     「絶対安全」はない。
     
     その上でなおかつ安全向上のためには、「推進と規制の分離」を強く立地自治体は、あらゆる手段を駆使し、国と電力会社に働きかけていかねばならない。

     安全向上には、原発推進組織とは切れ離された「安全規制組織」が絶対的に必要である。
     安全神話を否定した上で、安全向上を目指さねばならない立地自治体にとって、原発の非推進組織による規制が不可欠なのはいうまでもない。

     電力会社内部に安全部門を分離する必要があるが、それは限界がある。
     原子力安全規制を国が担うとしても、推進組織と既成組織が一体であれば無理である。
     原発推進の経済産業省に原子力安全・保安院を置く愚かさは、FUKUSHIMAで露呈した。
     が、経済産業省から安全規制の行政機関を分離しても問題は解決しない。
     政府全体として原発推進を掲げる限り、国による安全規制には限界がる。
     
     安全神話を否定した上で安全向上を国・電力会社に真摯にさせるには、原発非推進組織や運動体による厳しい監視と追求、そして立地自治体がこれと「連携」をとることが不可分である。

     原発がいかに「危険」であるかを明白化し、様々な「想定」をする。
     ありうる全想定に対して国・電力会社が安全対策を採ったときに、初めて「想定外」は極小化される。
     立地自治体にとって、「危険の想定」なくして安全対策は構築できない。

    4.
     安全向上にむけて立地自治体がなすべきことは、

     第一に、立地自治体自らが原発推進方針を放棄することである。
     原発推進側がいかに安全向上を要望、表明、模索しても推進方策が既定路線である以上、安全対策は表面上のものになる。
     安全確保の懸命な推進状況によって、立地自治体が推進方向にも反対方向にも変わり得る中立性を維持するときにのみ、国や電力会社は最大限の努力を払う。
     立地自治体が原発推進を掲げることは、自ら「安全向上を放棄」したことと同義である。

     立地自治体が中立的立場をとっても、原発はある。
     「絶対安全はない、危険」である原発を域内に抱えるから、精神的にも不安である。
     しかし、「安全神話」が完全に崩壊した以上、そして原発が現に存在している以上、「安全にたいして疑念を持ち続ける覚悟」が要求される。
     嫌な現実を直視しないことは、FUKUSHIMAどころか、TOMATRIを誘発するだけなのだ。

     第二に、国や電力会社が真摯に安全確保対応をするのは、脱原発推進組織や運動体の厳しい追及にあったときだけである。
     従って、原発立地自治体は脱原発組織や運動体、そして専門家に組織的支援を行うことが合理的である。
     立地自治体は共同で脱原発の専門家も参加する原子力研究機関や大学を設置し、研究機関や大学に資金提供するべきで、又、脱原発の市民活動への支援をおこなうべきである。
     こうして初めて、推進派と慎重派・脱原発派の専門的論争や市民間論議が保証され、結果として安全向上に繋がる。

     そもそも原発推進派は膨大な資源を有している。
     電力会社は財界でも要職を占め、政治家・政党に献金し、マスメディアには膨大な広告収入を与え、気に入らない記事は圧力をかけボツにさせ、官僚には天下りを提供し、専門家にはポストと資金を提供してきた。
     膨大な利権構造を目の前にしては、安全向上のための様々な想定を指摘する専門家を養成すことは決して容易でなかった。
     その上に立地自治体はこの利権構造に組み込まれてきた。
     しかし、国・省庁・電力会社・政治家・マスメディア・御用学者らのステークホルダーと立地自治体とでは、放射能汚染のさいの「被災の差」は、膨大な違いが横たわる。
     国・省庁・電力会社・政治家・マスメディア・御用学者は多くは東京圏など遠方におり、いざとなれば撤退できる。

     この違いを無視して、立地自治体が同じ利権構造に取り込まれてきたこと自身、今となっては最大の愚行であったことを被災地は示している。

    5.
    原発重大事故への立地自治体の対策について

    5_1.長期避難計画
     立地自治体として原発の安全向上のために具体的努力をしたとしても、重大事故勃発を「想 定」するのが、立地自治体の責任ある市政・町政・村政である。
     それがFUKUSHIMAでは否定的に現出した。
     起こりうる様々な可能性を「想定」しての努力が、結果的に安全性向上につながる。
     「事故を起こさない」努力と、「事故が起こりうる」ことへの対処の「多重防護」こそが、立地自治体の責務である。
     
     FUKUSHIMAで計画的避難区域の設定状況から半径五〇キロメートル圏では全住民の長期避難がありえることが、実証されてしまった。
     というか、たまたまこの範囲で済んでいる、済ませているといったほうがいい。
     少なくとも、既存原発から半径50キロ圏内の立地自治体は、全住民の長期避難の具体的計画とその実行手段を構築しなければならない。
     
     具体的には、
    ・当面の屋内退避のための(核)シェルター施設
    ・バスなどの避難移動手段
    ・避難移動先居住空間
    ・衣食住や医療・看護・介護等サービス
    ・放射線防護・除染の器具設備(泊原発の立地自治体ではヨウ素備蓄さえないことが明らかになった。)
    ・被爆差別や風評被害対策
    ・それらの訓練
    である。

     これまでの原子力防災訓練は、訓練ではなく「セレモニー」にすぎない。
     現実には地震・余震・道路損壊・停電・水道管損傷・ガス管損傷・電話等通信回線不通などインフラの完全破壊の中で避難であるが故に、困難は何倍も大きい。
     長期避難に及べば、子供の教育、高齢者医療問題も発生するし、生業から切り離され住民の当面の生活費困窮が発生し、将来的な新たな就業対策も必要となり、放っておけば全住民が生活保護でしか救済しえない状況も現出する。

     これが明らかなのは、立地自治体はこうした覚悟を持った対策をしてこないで、「安全神話」を国・電力会社と一緒に喧伝してきた。
     電源三法交付金のその大半を湯水のごとくハコモノ行政に投下してきながら、ヨウ素剤備蓄さえもしていないことが露呈した。

     しかし、安全神話が崩壊し、3.11FUMUSHIMA の災後の今日においてもなお依然として対策を採らなければ、立地自治体として重大な怠慢である。

    5_2.
     立地自治体は上記の対策には、終わりの見えない膨大な資金を要する。
     まず、立地自治体は電源三法交付金をメインに自らの基金を立ち上げ積み立てるべきである。 
     その上で、国や電力会社に要求しなければならない。
     国や電力会社は原発を稼働したければ、これまでに加えて更に適正な費用を供出・負担しなければならない。
     3.11で露呈したことは、電力会社は原子力災害の補償のための十分な資金を積み立てておらず、国=国民の税金負担を事後的に転用しようという露骨な「責任転嫁」を柱にしているということである。
     基本的には保険原理に基づいて、原子力災害補償のための保険料積み立てを電力会社にさせる。 
     それは膨大な保険料を保険会社は請求するであろうから、当然電気料金に跳ね返る。
     となれば、電事連が言う「最も安価な電気料」キャンペーンは破綻する。

     要は、今までの電気料金は原子力災害が発生したときの負担を国民の税金に後付転嫁することを「想定」してのダンピングをしていた、だけなのである。

    6.
     地域づくり、まちづくりとの関係

     原発立地自治体にとって深刻なのは、原子力災害の可能性は、地域づくりとその主体にとって「諦観」と「アパシー」を与えかねない、いや与えていることである。

     原発が立地している地域が地域づくりをしようとすれば、豊かな自然や人情味溢れるコミュニティとの触れあいなどを地域資源として位置づけそれを光らせようとする。
     しかし、ひとたび原発重大事故が起きれば、それらの営々と続けてきた努力は水泡に帰す。
     であるなら、そのようはハイリスク地域での地道な地域づくりの努力をするのは虚しいもの、と受け止められる。
     そして原子力災害は、逃げてもすぐ帰れない・・・・。
     つまり、原発立地自治体としては、原発は「共存共栄」ではまったくなくて
    一蓮托生
    を覚悟するしかない。
     だからこそ、否が応でも原子力災害を起こさせないよう安全向上を鋭く迫るべきであるが、それでも「絶対安全」はもうないのである

     原発が地域づくりに賭ける地域の人々の真面目な営みを破壊し、地域社会と自然と風土を崩壊させるならば、それは原発推進派の思う壺なのかもしれない。
     将来展望を失った自治体や地域社会には、地域づくりや企業誘致という選択肢はなくなる。
     そうなれば、更に原発増設や各種の原子力施設や放射能廃棄物処理場などの設置を陳情させうることも、原発推進派は当然計算にいれている。

     だからこそ、否が応でも原子力災害を起こさせないよう安全向上を鋭く迫るべきは、まちづくりや地域づくりの主体にも強く要請されている。
     年間2000万人の後志(しりべし)来訪者を迎える観光業界・観光関連団体組織もその陣営に参加してこそ、その責任を果たせる。

     どちらかというと、観光まちづくり市民運動の主体はハコモノ行政一般へ鋭く批判をしてきた。
     しかし、
    ・当面の屋内退避のための(核)シェルター施設
    ・バスなどの避難移動手段
    ・避難移動先居住空間
    ・放射線防護・除染の器具設備
    に加え、
    ・冬期間の積雪で通行止めになるような原発周辺の道路事情の早期解消
    も、安全安心な避難ルートとしての道路づくりは住民だけなく観光で訪れて頂く観光客への安全安心な避難ルートして、「観光まちづくり」の主体にももっとも問われている。

     過度に諦観に陥るまい。
     地域や自治体の営々と続く営みが一瞬で破壊されるのは、他の自然災害、感染症、経済恐慌、戦争などでも同様だ。
     とはいえ、一度FUKUSHIMAのように原子力災害・放射能汚染災害を被れば、50年〜100年スパンの長期間の避難の中でまちづくり主体の想いも無残に否定される。
     
     
    7.
     原子力発電は「裸の王様」だった。

     本当は裸であるのにもかかわらず、「多重防護」という薄く軽い衣装を何枚も着込み、「安全」であると「大人」は「安全神話」を流布させてきた。

     「裸」だと指摘した「子供じみた研究者」は冷や飯を食わされ、同じく「裸」だと指摘した「子供じみた市民」は「非現実的夢想家」と色分けされた。

     しかし、国も電力会社も「専門家」も原発が「裸」であることを本音では知っていた。
     だから、東京や大阪ではなく、福島や新潟や若狭という遠方に立地させてきたのだから。
     したがって、その過疎地域に立地させたFUKUSHIMAは、彼らの「想定内」だったといえるわけだ。
     
     実は、原発立地自治体は立地に協力してきたにもかかわらず、原発関係者達(原子力ムラ)からは忌み嫌われてきた。
     専門知識もなく、過剰に危険を感じる、愚かで感情的な人々と。
     何かあるとすぐカネを要求する、と。
     権限もなく様々な原発情報提供を要求し、煩わしい、と。
     他方、国の「原子力災害対策特別措置法」で規定される10キロ圏以外の周辺自治体関係者からは、「電源三法交付金」を受ける「富裕で羨ましい」という「嫉妬」を浴び続けてきた。

     国や電力会社は、そういう原発所在地域の所在自治体と非所在自治体を分断することでこそ、原子力施策を押し進めてきた。
     原発所在自治体は、このような「板挟み状態」のなかで、原子力災害に被災した。

     原発関係者達(原子力ムラ)は、原発は「安全」だから、「正しい」情報を示せば所在自治体は「安全」と理解するべき、とする態度を取り続けた。
      原発関係者達(原子力ムラ)は、「安全向上」のために所在自治体や住民の素朴な懸念に答えて、コミュニケーションを強め学習してもらいながら安全対策を向上させようとはせず、すでに充分な「安全」な「科学的事実」を与えている、と傲慢に振る舞った。
     結果、原発関係者達(原子力ムラ)外からの懸念を、現実的に「想定」しようとせず、FUKUSHIMAにつながってしまった。

     このような国・省庁・電力会社・「専門家」の傲慢な「安全文化」を育んできた要因は、当事者に加え経済界・大学・マスメディアも参加した大利権構造であり、大都市の電力消費者のあり方などにあることは間違いない。

     が、同時にその一端は、原発所在自治体が「推進」と「共存」に偏った方策をとってきたこと、更に周辺自治体関係者が蚊帳の外であることで無関心を装ってきたこと、にもある。

     逆に、立地自治体には、 原発関係者達(原子力ムラ)の「安全文化」を変える必要性もあるし、その能力も責任もある、ということである。

     以下、参考記事をアップしておく。↓

    続きを読む >>

    2ヶ月が過ぎた

    • 2011.05.12 Thursday
    • 15:02


     ↑  2011.05.11 朝日新聞 夕刊 第3版 6ページ

     民主党政権と菅首相が原発推進を突き走ってきたことを知らない国民は,もういない。

     財務省の言いなりの菅が前原前国交省大臣とともに意気込んでヴェトナムに原発を売り込んだことも知らない者は,もういない。  
     原発推進を突っ走って来た経産省の言いなりの海江田が、「反原発」路線をそもそも採用するはずものないのを知らない者は,もういない。  
     3.11東日本大震災と原発震災への泥縄対応で、国民を守ろうとしなかった民主党政権を知らない者は、もういない。
     2ヶ月経っても復旧もままならず、それを誤摩化すための言葉「復興」を言うレベルであることを知らない者は、もういない。,  
     はじめに復興税しかない「復興会議」と、  
     東電防衛のための電気料値上げ許可を最初から折り込み済みであり、  
     浜岡原発の運転中止も、起死回生の政権浮揚策でしかなく、
     裏で中電に資金面での融通をめちゃくちゃしているのを知らない者は,もういない.
     
     しかし、菅をしてそうさせたのは国民の「原発安全神話」への拒否であり、
     「心は見えないが,『下心』だけは見透かせる」
    国民に包囲されたからに、他ならない。
     しかし、その底流を一つにまとめ一大潮流にする勢力は未だない。
     だからこそ「議論はもう限界、行動に」と意思表明することが一層大事だ。

     かつて「原発反対」をいう者を膨大な原発推進予算を使い少数派運動に落とし込め、バイアスのかかった「イデオロギー論争」的空気を醸成し,真摯な研究者もスポイルして一大原発利権構造を形成してき,「クールなエネルギー政策」論議さえも成立させてこなかった時代は終わった.
     要は、このような状況を形成し,国民一人ひとりが考えることを妨げてきた.
     地域で今も繰り返される「村八分」の意図的意識的国家版だった.
     真実をいうこと、その分異色であることをもって「平準化の論理」で、出る杭は打つように「原発反対」の世論形成を阻止してきた.
     国民全体を「村八分」にしてきた。

     いまこそこれを越えたところから,身の丈で科学的、経済的、生活のすべての観点から結論を導き出さなければならない.
     反原発・脱原発の対案提起能力も主体的に試される.
     その側に立ったコンサルタント・シンクタンクが運動的に形成されなければならない.
     自然エネルギー活用を情緒的に語ってしまえば負ける.
     「クールなエネルギー政策」を語らねばならない.

     そういう時代の幕開けなのだと思いたい.

     お薦め:
     原子力のたそがれ
     ──米・仏・独のエネルギー政策分析から浮かび上がる再生可能エネルギーの優位性
      マイケル・シュナイダー (マイケル・シュナイダー・コンサルティング代表)
      訳=田窪雅文 (「核情報」主宰)
     
     
     
     

    一ヶ月を経た.

    • 2011.04.11 Monday
    • 14:46
    私はビートたけしは大嫌いだ。
    が、たまたまチャンネルを変えたとき、画面の彼の言い放った言葉。
      「毎日被災の死者・行方不明者の数が、数字で発表される。
      が、なんか違うだろう。
      『2万人の死』ではなく、『一人ひとりの死』が2万もあるんだろう」
    の言葉だけは、全くその通りだと思う。

    美しくのどかだった自然が、突然隠し持った凶暴さをあらわにして人間に襲いかかり、大切な人を失う。
    その大切な人の死は、決して「何万分の一の死」ではなく、「ただ1人の死」が何万もある。

    そして、今のたうち苦悶する原発。
    次々に局面の変わる悪夢のような現実に翻弄されるうちに、3.11以前のことが随分遠くなってしまった。
    私どもの世代にとっては、単なるドイツの高級スポーツカーの型番でしかなかった数字「9.11」で21世紀が明けた。
    そして、「3.11」で社会のありようを根底から作り直さねばらならない、そんな時代を迎えた。

    が、被災した人々の壮絶な体験の前では、どんな言葉もさかしらでしかない。
    この、想像を絶する極限状況の悲劇が、あらゆる形で同時に何十万という数で起こった。

    この巨大な現実の展開に言葉が追いつかない。

    それでも追いかけるしかない。
    かろうじて自分が言えることは何か。
    聞いてくれる相手が聞き飽きるまで、この想像を絶する極限状況の悲劇を話し紡がねばならないと思いこもうとしている。

    9.11、そして3.11、でも語らねば・・

    • 2011.03.25 Friday
    • 15:02
     書かぬ文字 
     言わぬ言葉も 
     相知れど
     いかがすべしぞ 
     住む世隔たる

     ・・・与謝野晶子

     何百年と豊かな恵みを与えてくれた海が逆立ち,海と陸とを結ぶ船が陸上に持ち上げられ家々を大津波と一緒になって襲いかかり,火焔に包み,がれきの山とさせた.
     何世代もの土壌作りで豊かな農産物を育んだ大地は,今後幾世代もが手をつけられない毒に汚染されようとしている..
     我が子のように可愛がり育てて来た牛が生み出す乳をそのまま下水に捨て流さねばならない,そんな毒をもられた空気をこれからいつまで吸わさせられるのか.
     数代,数十代の営みで町を形作ってきた愛着と思いの積み重なった家々や店々,そして家並みを捨て去り,町を去らねばならない苦渋.

     何を語ればいいのかと唸り,書き連ねては,Deleteキーを押す日々だった。

     TVに流れるあまりの大自然の脅威を前に、
     瓦礫の地に頽れて慟哭する人々の姿に、
     瓦礫の下に親と連れ合いと子供の遺体があるのに手をあわせるだけしか出来ない姿に、
     想像を絶する極限状態の悲劇が何十万と起きていることに、
     想定外と、口にする輩の言葉の軽さと虚ろさに、
     逆に、被災地の人々の口から発せられる言葉の重さと切なさと輝きに、
     そして、マスメディアとソーシャルメディアの玉石混合の情報に振り回される人々に、
     さらに、次々に露呈する後追い的な東電・原子力安全保安院・官房長官の発表に、

     言葉が追いつかない・・・と思い知らされる日々だった。

     悲惨な,あまりにも悲惨な被災地の姿、そして被害が拡大し首都圏にまで至る事態。

     無自覚にむさぼり、使い、浪費のためにさんざん利用してきたあの原発が、いま、まさにのたうっている。
     私たちは,ただ立ちすくんでいる。

     3.11まで、多くの人は東南海大地震には大きな関心と不安を抱いてはいた。

     が,中部電力の浜岡原発群がその想定震源域の真っ只中にあるという恐るべき事実を、そしてそこに今回のような事態が生じれば、東京都民や横浜市民への被害をどれほどの人が知っているだろうか.
     福井県の高速増殖炉もんじゅが燃料棒交換装置の落下という訓練もせずに事故り、再開は勿論廃炉にも出来ない「生殺し状態」にあるのを知っているだろるか?
     2兆2000億円の巨費を投じた再処理工場が稼働するかどうかは、高レベル放射性廃液のガラス固化が成功するかどうかだったが、青森・六ヶ所村の核燃料再処理工場ガラス溶融炉事故
    で,これも「生殺し状態」であることを知っているだろうか?

     そして200キロ離れた福島原発が一度事故を起こしたら、首都圏まで被災地になることを今やおもい知らされている。

     われわれは,まるで原発など存在していないかのように毎日を過ごしてきた。

     しかし、あまりの事態に平常心を失ってか、facebookやツィッターでは,
     「こんなときは節電しなければならない。わが町でも歴史的建造物の夜間ライトアップを止めるべき」
    などと表明することで,何かしら「語った」気になっている人たちがいる。
     日本では静岡県の富士川と新潟県の糸魚川付近を境にして東側は50Hz、西側は60Hzの電気であり,中部電力が能力いっぱいの100万キロワットしか東電には送電出来ず、北海道電力も60万キロワットしか東北電力に送電できない事情は、常々以前の地震災害時にも報道されていた。
     にもかかわらず,「自粛、不謹慎」空気汚染に感染し、突然節電運動をよびかける。

     それを善意としか疑わないこと自身が、薄気味悪く恐ろしい。

     東日本全体が被災した今だからこそ、大いに観光誘致を今まで以上に積極的に展開し、せめて北海道に賑わいをつくり経済を回し元気になり、それでもって被災地支援こそを押し進めるべきとは、思考が至らない。
     節電を訴えるくらいなら、電力の東・西日本グリッドの完全接続要求運動をしていただきたい。
     節電を訴えるくらいなら、放射線汚染基準値を越え返品されて山のように積まれ呆然自失の福島県と近隣県の農家のため,声かけ合ってその返品野菜や出荷停止野菜の協同購入運動をやるべきではないか?

     本来の節電の話ではない.
     今やこの自粛・不謹慎空気汚染でわが町のストリートは闇に包まれる.
     逆に,歴史的建造物をライトアップし,街を明るくし,東日本の被災地のために自らの地域を賑やかに元気にすること抜きに,東日本に支援をする体力はつけられない.
     明るく元気な街にこそ,避難者を招き元気にしてあげないでどうするのか.
     被災しなかった私たちの役割は、玉石混合のマスメディアやソーシャルメディアから最も真実を語るものを見つけ、自ら判断し、かつ絶対目をそらすまいとすることだ。
     地べたを這って生きて来たものは、始末の悪い無意識の自己満足より、実効性あることから始めたい。
     幸い自粛や不謹慎空気汚染されないで弊店にご来店頂くお客様には、お帰りに義援金を募集している。そして、皆さんに今年の歓送迎会と花見では、東北関東各県の地酒こそを宴で飲もうと呼びかけ、自らの店でもラインアップを今進めている。
     その方が,観念的で突発的な自己満足節電運動より、よほど被災地の人々に喜ばれる.
     
     結局、マスメディアやソーシャルメディアに踊らされる。
     要はマスメディアやソーシャルメディアは、受け手側にスキルが要求される。
     例えば、「風評被害」とマスコミはいう.
     いぃや違う,「東電被害,原発被害、原発行政被害、非常事態司令部不在被害」だろうが、とTVに向かって叫んでいる。
     買いだめや買い控えは、東電・原発行政機関の情報隠蔽や政府・御用学者の不安や不信を煽るだけの、意味のない安全安心発表に起因している。

     東電経営陣の機能不全は目に余る.
     経営トップに原発の専門家はいなく,形だけ謝るだけはかろうじてできるだけ,
     メーカーを顎で使い「なんとかしろ」と丸投げして来たことを露呈した.
     非常事態で2週間目で疲労も極限まできていたろうが、だからこそ補修作業をする現場職員の安全性をトップは万全を期して陣頭指揮すべきだった。
     だが、作業前のルーチンワークの放射線チェックもせず、万が一の長靴も履かせず、結果作業員三人を被爆させ、あろうことか記者会見で副社長は被爆量を求めても口を濁し、この期に及んでも「3.9×10の6乗ベクレル」と答え、記者に追求され通常の1万倍だった、と白状せざるをえなかった。
     これが、安全安心を謳った東電経営陣の本質だった。
     経産省は原発推進「省」であり,原発事故への非常事態「省」ではなく、その下部組織・原子力安全・保安院はただの天下り機関で、原発の基礎知識を持っておらず最近まで特許庁勤務だった職員が会見担当をしていたという.
     膨大な原発推進予算から多額の研究費を助成されてきた御用学者のTV解説も,これほど虚しく聞こえるものはない.
     そして、非常事態に対処する総司令部不在を政府は露呈する。

     我が国には原発事故に備えた「SPEEDI」(放射性物質の広がりを気象条件などを加味してリアルタイム予測できる緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)があり、そのデータの公開が求められながら、原子力安全・保安院も文科省も、記者会見で「SPEEDI」のデータ公開を拒否する暴挙にでた。
     案の定、その翌日福島の「葉もの野菜」に暫定値を越える放射能汚染が現実化し、出荷制限どころか摂取制限、そして首都圏での水道水汚染と拡大し、やっと「SPEEDI」データ公開に追いやられるという、大失態を演じる。
     
     刻々と変わる事態を正確に伝え、
     今の条件下で生ずる最悪の事態とこれへの打つべき対策を公表し、
     それらから生ずる被災地の人々の対処法を明示する・・・ことはなかった。
     先ずは包み隠さず、隠蔽しないことが非常時の鉄則であるのに。
     対策が成功していれば成功している、失敗したら失敗したと事実を明らかにし、次の対策、対処法を明示する・・ことをしなかった。
      それなくしての「安全・安心」などありようがないにも関わらず、信頼はそこからしか生まれないのに、不信を一層拡大した。

     スリーマイル島原発事故も、チェルノブイリ原発事故も、地震自身とは無関係だった。 
     そして福島原発は?
     原発の大事故は、必ずしも強烈な地震動のとてつもない 破壊力を必要としているわけではない。
     福島原発が明らかにしたのは、緊急冷却関係施設の被害想定を経済性からサボタージュした、人間の仕業だった。
     大津波に対しその押し寄せる海側に非常用電源の燃料タンクを配置するという、信じられない設計という人間の仕業だった。
     北大の原子力関係の教授が
     「1000年に一度に対処するにはコストアップが生ずるが、それをすべきかどうか自分は判断できない
    と宣った。
     正直さは、時にはグロテスクである。
     「判断出来ない」など、福島原発から強制避難をさせられ、強制避難からも取り残され「勝手にしろ」と自主避難という名で放置される人々の前で、言ってみるべきだ。
     その結果、今の段階で25兆円とも予想される国家的損失を産み、日本経済を未曾有の危機に落とし込んだのだ。
     
     今も余震の恐怖の中、被災地で懸命に役割分担しかろうじて食料や燃料を自己調達し不足品は分け合いながら文字通り「災害ユートピア」を産み出し救援を待つ人々の前で、このように言えるだろうか?
     又、何の詳細な説明もなく地域丸ごと近隣の体育館などの避難所に移動させられ、プライベートもなく耐え忍び、放射能被曝の危険性拡大で更に第2、第3の移動を強制される原発周辺被災者の人々の前で、このような言葉を言えるだろうか?
     返品された山積みの、精魂込めて栽培した野菜の前で茫然自失の農業主にそう言えるだろうか?

     3/23東電副社長は経営陣として初めて避難所を訪れ頭を下げ回ったが、怒りの発言は被災者からはなかった、と当初報道された。
     が、実際TVでそのシーンを見たが、頭を下げる東電副社長の前での避難所の人々の恐ろしいまでの沈黙は、「怒り」を通り越したが故のどしようもない「憤怒」がそうさせたのではないか!

     そして、原発に少しでも不安や疑念を持つものには、
     「だったら、電力はどう確保するのか、経済活動をどうするのか」
    と黙らせて来た、カネと情報操作でなりたつ産官学一体の恫喝的論調は、その論拠を完璧に失った。
     福島原発が留まることなくドミノ倒しで非常事態に入って行く中で、ドイツの全電力に占める非原発電力が50%を越えたという報道は、政府のエネルギー政策で脱原発は可能性があることを、あらためて示した。

     被災地で生死を掛けた戦いをくろ広げてる被災者と支援者も含め、国民一人一人が我がこととしてそれを真っ正面から考える時代を迎えた。
     批判と責任を躊躇う時代は、終わりをつげた。
     批判と責任を押しつぶす時代は、終わりをつげた。
     が,
     「今、責任問題を云々する時期ではないでしょう」
     「今は、建設的な話をしよう」
    と、したり顔でものいう輩が徘徊し、空気を淀ませている。

     3.11震災で直接の被害に遭わなかった人々こそが、彼ら被災者にかわり鋭く物申さねばならない。

     我々には、正当に怖がる権利がある。
     真実を知らせろ。
     真実をかたらせろ。
    と。

    避難所で

      ↑ ・・・東日本大震災被災地の避難所で、停電が続く夜、灯油ストーブの灯りで読書する少年(北海道新聞)。
     大地震と大津波から奇跡的に助かったのだから、今はただただ精一杯本を読んでくれ,と。

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