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    光明

    • 2009.09.11 Friday
    • 21:42
    光明
     9.11WTCから8年の時が流れた。
     というのはひとまず置いて・・・。
     昨日お邪魔したところで、
     今日はあの「9.11テロ」から8年で、8.11からだと今日で丁度一ヶ月です、
    と挨拶冒頭にいうと、暫く間があって、やっと気づき、ああ、もう一ヶ月すぎたのですね、と。
     時の流れの感覚は、人によって全然ちがうものだ。

     調整役という柄にもない役回りで、思案などというものを又柄にもなくし始めると、歳を重ね萎縮した前頭葉の回転はシフトチェンジが効かなくなり止まらなく、寝付けなくなってしまうのを、知らされた。
     もういい加減にして寝なさい、という連れ合いの言葉も、いつの間にかその口から消えていた。
     気がつくと、虫歯が一本、いつの間にか抜けていた。

     やっと我々の調整作業の努力をわかってもらえる、シグナルを頂いた。
     何はともあれ、調整の進捗に痺れをきらして当然なのに、その調整役を支え見守ってくれた仲間に感謝だ。

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    こういうのを隘路というのか

    • 2009.08.29 Saturday
    • 23:11
    JUGEMテーマ:観光まちづくり

    隘路

     隘路に陥いりかけている。

     片方は、国民の税金を投入する補助事業である以上、万が一個人的利益に繋がるようなことのないよう、それが投入された物件は当然公的主体の施設として補助事業の対象団体に帰属することを求める。 その根拠は補助事業のルールの遵守、応募要項や適正化法だ
     当然だ。

     一方、補助事業の申請時に、事業完了後はお国の税金投入していただいたのでその物件を地域振興のために当該地域の団体に公的資格をとらせて寄贈し役立てたいたいという所有者の希望を記し、それが選定されたのでお国から認められたと理解する申請側の気持ちもある。 万が一個人的利益にならないよう担保したと思っている。
     
     これをどううまく整合性をもって整理できるのか、で双方とも頭を抱えている。
     行き詰まっている。
     これが解決しないと次のステップに進めない。

     隘路に入りかけている。
     いい知恵が、兎に角欲しい。

    暗雲垂れ込める雲間に光

    • 2009.08.26 Wednesday
    • 21:27
    暗雲の向こうに光が
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    小樽祝津ニシン番屋再生物語ブログ、制作中

    • 2009.08.25 Tuesday
    • 10:38
    小樽・祝津ニシン番屋再生物語
     明後日と日曜日と、勝負の会議が2つある。
     が、そのシナリオを色々考えていると眠れない。

     で、国交省・建設業元気回復助成事業で5月選考された、「小樽祝津地区漁場建築修復と地域振興に関する事業」の推進団体・北後志風土ツーリズム協議会のブログを試作する。
     小樽祝津地区のランドマーク的存在なのだが、もっとも損傷度合いが大きい「茨木家中出張番屋」をお国の助成を得て修復し、その修復なったニシン番屋を祝津地域のコミュニティセンターとして町内会館や各寄り合いやイベントなどに活用し、少々元気のない祝津地域を「たなぐ(皆で持ち上げる)」というわけだ。

     小樽は歴史的価値を持つ資源が実に豊富だ。
     生半可な気持ちで係ると、もう水を張った水田に足を踏み入れたときと同じようにその混沌とした歴史的価値が逆断層のように沖積した泥濘に、完全にハマッテしまう。

     小樽・祝津地区もそう。
     私が子供の頃、おたる水族館は「東洋一」と謂われたもので、その水族館と日和山灯台、そして回転する展望レストランを持ったホテル、そして国定公園の眺望と相まって小樽観光の一大拠点だった。
     しかし、小樽運河観光が爆発すると同時に祝津地区の存在が薄れてき、次第に地盤沈下していった。
     それを、祝津地区始まって以来の漁師・観光施設・地区住民が一体となっての地区活性化団体「祝津・たなげの会」を立ち上げ2008年から、様々な勉強会やイベントを展開してきた。
     そんな「祝津・たなげの会」が頭を抱えたのが、祝津海岸を走る道々小樽海岸線(通称:番屋通り)の一番目立つポイントに立つ「茨木家中出張番屋」の存在だった。
     外観は、見るも哀れなくらい老朽化で損傷が激しく、冬の積雪で倒壊などして道々上に崩れ落ちたらと道からは解体を相談され、所有者も一度は解体を覚悟した。
     しかし、祝津・たなげの会は、番屋通りに群として立つ他の漁場建築群の趨勢にも影響するし、祝津地区のランドマーク的番屋こそを地区再活性のシンボルにしたいと、所有者とも話し合いを持ち、自分たちボランティアで積雪対策をしてしのぎながら、その修復を模索してきた。
     しかし、修復には莫大な費用が予想され、もはや修復展望は無理かとなったときに、公募されたのが「建設業元気回復助成事業」だった。
     即、申請のための地元受け皿環境づくりをし、5月申請を届け出し、北海道では20事業の申請の中、5事業の一つ(全国では104事業が選考)に選考されたというわけだ。
     
     その事業の第一回協議会が8/11開催され、いよいよ事業が開始する。
     色々な問題がこれから発生するだろう。
     が、祝津地区を光らせ、蘇らせる、地元の「祝津・たなげの会」の皆さんの頑張りに何とか側面支援できなければ、小樽観光が笑われると思ってケッパルしかない。

     

    夢を、夢だけに終わらせない

    • 2009.06.26 Friday
    • 09:50
    Revitalization in Otaru Shukutsu Area

     小樽水族館のある祝津エリアは小樽の市内観光ネットワークの重要な拠点である。

     その祝津の浜が見える恵比寿神社の参道入口のすぐそばに立つ、祝津三大網元のひとつ茨木家の出張番屋↓と、

    茨木家出張番屋

     その手前並びの本宅↓と。

    茨木家・本宅

     出張番屋の方は大変目立つ位置にあるのだが、使われなくなって30有余年、日本海の風雪に痛めつけられ老朽化が激しかった。

     それが老朽化で取り壊されるか、修復されるか。
     こと祝津地区の活性化と振興にとって、それは漁場建築群の再評価・再認識と同地区の貴重な歴史的資源として今後の同地区の振興に大きな影響を与える存在だった。
     ましてや、今は産業観光、街道観光、近代化遺産観光、学習型観光という、もはやマスツーリズムではなく地域の身の丈自身こそを誇るような観光こそが、観光ニーズになっている時代だ。

     そしてその祝津には「祝津観光組合」という団体がありそれが発展的に改組されて、市民参加型事業推進型の「祝津・たなげ(祝津のエリアをたなぐ=かつぎ上げるの意)の会」と生まれ変わっていた。
     祝津エリア活性化をめざし、まずは自分たちのエリアを再認識・再発見しようと、祝津地域の屋号の調査研究を皮切りに地域振興イベントを次々に展開してきた。
     市内観光ネットワーク拠点の祝津に、受け皿となる「まちづくり主体」が形づくられたわけだ。
     
     この祝津・たなげの会が、茨木家出張番屋の老朽化=取り壊しを迫られた所有者と話し合いを持ち、なんとか修復・再生の手立てを探るため取り壊しを1年間遅らせ、積雪で倒壊しないよう自らボランティアで手を打ち、その間に検討を進めようとなって、昨年来、知恵を出し合ってきた。
    続きを読む >>

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